魚をいただくこと

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『発心集』に聖と魚の話があります。

ある聖が、琵琶湖で網打ち舟が大きな鯉を捕っているのを見かけました。鯉はまだ生きていて、ばたばたと音をたてています。聖は、かわいそうに思い、その鯉を買い取り、湖に帰してあげます。その夜、聖の夢の中に翁が現れます。翁は、今日助けられた鯉だと言い、聖を恨んでいると言います。良いことしたと思っていた聖は、怪訝に思いそのわけを聞きます。翁は、加茂社の供物になるはずであったと言います。自分は魚に生まれ、悟りを得る機会がないので、供物になることによって畜生道から抜け出そうとしていたそうです。それを、聖が邪魔したと説明しました。

以上が、概略ですが、畜生が食べられることによって、畜生道から出ることができるという論理は、比較的多く見られます。そう考えれば、生き物をいただいている私達の罪悪感も緩和されます。ただ、この論理は、娯楽としての狩りなどに適用されてきますが、これはちょっと危険な気がします。

画像:上賀茂神社
画像出所:上賀茂神社 https://www.kamigamojinja.jp/