仏名会と地獄図

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仏名会とは、懺悔、滅罪のために仏名を唱える行事です。宮中でも、平安時代から行われ、 毎年12月19日から3日間開催されました。

ここで、地獄絵が使われたと言います。正面に一万三千の仏を描いた曼荼羅がかけられ、その反対側に地獄屏風が置かれていました。参加者は、地獄屏風の恐ろしさから、仏の曼陀羅に懺悔、滅罪を願ったと考えられます。その意味では、地獄絵は恐ろしければ恐ろしいほど効果があることになります。

清少納言の『枕草子』にも、地獄屏風が登場します。仏名会の次の日に、中宮定子が清少納言に地獄屏風を見るように言いますと、あの活発な彼女でも、その地獄屏風の恐ろしさに逃げ回ったと記されています。ただ、彼女は、わざと恐がるふりをしたという説もありますが。

画像:大地獄絵・大焦熱地獄
画像出所:祈りの回廊 http://inori.nara-kankou.or.jp/inori/hihou/chogakuji/event/y23fzau1kn/

『平家物語』の悪人救済

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平清盛さんの五男の平重衡さんは、南都を焼き討ちしました。そのため、仏教教団、とくに南都からは、とんでもない大悪人ということになります。

『平家物語』によれば、重衡さんは、源平の合戦で活躍しますが、一ノ谷の戦いで、とうとう捕らわれます。重衡さんは、南都焼き討ちを後悔し、法然さんに相談します。そして、法然さんから戒を与えられます。処刑のとき、仏像を部下に探させましたが、持ってきたのが阿弥陀仏像でした。重衡さんは、袖のひもを五色の糸の代わりとして、阿弥陀仏像の手に結び、それを持って十念念仏を唱えて処刑されました。

まさに、臨終行儀ですね。こうした『平家物語』での重衡さんに関する記載を見てみますと、どうも重衡さんは、往生できたような気がします。『平家物語』の作者には、悪人救済の思想が垣間見られます。

画像:平重衡
画像出所:ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%87%8D%E8%A1%A1