如来蔵思想批判

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天台本覚思想への批判は、天台本覚思想のどの段階のものへの批判なのかを認識することが重要です。批判の多くは、後の段階、この世が仏の顕現であるという段階のものに対してです。

ただ、松本史朗氏は、初期段階、すなわち如来蔵思想に向けて批判されました。誰もが成仏できる可能性を持っている、つまり誰もが如来蔵を持っていることに批判されます。氏は、仏教の本質を縁起説、無我説に見ます。そして、この如来蔵がヒンドゥー教のアートマンであると指摘します。あの梵我一如のアートマン、個人に内在する真実の自己、霊魂等を指します。

アートマンは、つまり、「我」であり、無我を主張する仏教からは、否定されることになります。そのため、如来蔵思想は仏教でないとする結論を導き出されます。如来蔵をアートマンとする指摘は、十分説得力があります。ただし、何が正しい仏教かどうかは、定義する人によって違ってきます。私は、無我説も天台本覚思想も仏教だと思っています。

画像:『縁起と空』松本史朗氏
画像出所:アマゾン