常行三昧堂の来迎図

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前回、比叡山の常行三昧についてお話ししましたが、今回は常行三昧堂の来迎図についてです。

常行三昧堂は、第3代天台座主円仁さんの意向で、彼の没後建立されます。一旦焼失しますが、良源さんによって再興されます。当時の常行三昧堂について記された資料に、九品浄土図の記載があります。

平等院鳳凰堂の九品来迎図は、いまは現存しない法成寺阿弥陀堂の壁画を参照したと言われています。そして、この法成寺阿弥陀堂が、この常行三昧堂を基礎としています。したがいまして、常行三昧堂にあった九品浄土図は、来迎図であった可能性は高く、法成寺阿弥陀堂の壁画、そして現在観ることができる最古の日本の来迎図、平等院鳳凰堂九品来迎図に影響を与えていると考えられます。常行三昧堂の九品浄土図がどのような来迎図であったか、たいへん興味があります。

画像:常行三昧堂
画像出所:西照寺 http://www.maroon.dti.ne.jp/saisyouji/CCP070.html

常行三昧

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極楽浄土に関する様々な修行方法がありますが、最もハードなのが常行三昧です。天台宗による密教色の強い修行方法です。

本尊が阿弥陀仏であります比叡山常行三昧堂で、外界と遮断して行われます。堂の中では、ひたすら心に阿弥陀様を念じ、阿弥陀仏の名前を唱えながら昼夜歩き続けます。本尊の周囲に設置された手摺に寄りかかるか、天井から下げられた紐につかまって休む以外は、歩き続けます。これをなんと90日間行います。普通の人には、絶対無理ですね。

けが人だけではなく、ときには死者も出たといわれています。そのため、一時期禁止にもなっていました。在家者には、縁のない修行法だと思います。

画像:常行堂・法華堂
画像出所:比叡山延暦寺 https://www.hieizan.or.jp/keidai/saitou

西アジアの来迎図

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1909年、阿弥陀三尊来迎図が、元西夏帝国の首都で、その後死都となってしまったカラ・コトで発見されました。13世紀ごろの作品と言われ、エルミュタージ美術館所蔵になっています。

日本の同時代の来迎図に、極めて似ていることに驚きます。もちろん、中国を通じて来迎図の行き来はあったと思いますが、中国で来迎図が盛んだったのは、唐の時代で、4,5世紀前のことです。その後、日本と西アジアで独自の発展をしましたので、この類似性は興味深いです。来迎図に大きな影響を当与えた『観無量寿経』の中央アジア成立説も、納得できます。

ただ、日本の来迎図とカラ・コトの来迎図の違いは、日本のが、来迎が左から右への来迎ですが、カラ・コトのは、左から右です。日本の来迎図は、臨終者が極楽浄土に向かって北枕で西向きに寝ますので、こうした臨終行儀が影響を与えていると考えられますが、カラ・コトのはわかりません。カラ・コトに限らず、大陸系の来迎図は、左から右の来迎です。

画像:西夏帝国墓
画像出所:123RF

仏名会と地獄図

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仏名会とは、懺悔、滅罪のために仏名を唱える行事です。宮中でも、平安時代から行われ、 毎年12月19日から3日間開催されました。

ここで、地獄絵が使われたと言います。正面に一万三千の仏を描いた曼荼羅がかけられ、その反対側に地獄屏風が置かれていました。参加者は、地獄屏風の恐ろしさから、仏の曼陀羅に懺悔、滅罪を願ったと考えられます。その意味では、地獄絵は恐ろしければ恐ろしいほど効果があることになります。

清少納言の『枕草子』にも、地獄屏風が登場します。仏名会の次の日に、中宮定子が清少納言に地獄屏風を見るように言いますと、あの活発な彼女でも、その地獄屏風の恐ろしさに逃げ回ったと記されています。ただ、彼女は、わざと恐がるふりをしたという説もありますが。

画像:大地獄絵・大焦熱地獄
画像出所:祈りの回廊 http://inori.nara-kankou.or.jp/inori/hihou/chogakuji/event/y23fzau1kn/

『平家物語』の悪人救済

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平清盛さんの五男の平重衡さんは、南都を焼き討ちしました。そのため、仏教教団、とくに南都からは、とんでもない大悪人ということになります。

『平家物語』によれば、重衡さんは、源平の合戦で活躍しますが、一ノ谷の戦いで、とうとう捕らわれます。重衡さんは、南都焼き討ちを後悔し、法然さんに相談します。そして、法然さんから戒を与えられます。処刑のとき、仏像を部下に探させましたが、持ってきたのが阿弥陀仏像でした。重衡さんは、袖のひもを五色の糸の代わりとして、阿弥陀仏像の手に結び、それを持って十念念仏を唱えて処刑されました。

まさに、臨終行儀ですね。こうした『平家物語』での重衡さんに関する記載を見てみますと、どうも重衡さんは、往生できたような気がします。『平家物語』の作者には、悪人救済の思想が垣間見られます。

画像:平重衡
画像出所:ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%87%8D%E8%A1%A1


生老病死

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この世は、苦であると言われます。その苦は、生老病死の4つの苦であると仏教では定義されます。この四苦に、愛別離苦(愛する人と別れる苦)、怨憎会苦(にくい相手と会わなければならい苦)、求不得苦(求めるものが得られない苦)、五蘊盛苦(心と体が思うようにならない苦)の4つも加えて、四苦八苦と言われることもあります。

昔、生老病死の四苦の中で最大なものは、「死」だと思っておりました。この「死」と「老」や「病」を同列にするのは、どうかと疑問に思っていました。今でも、「死」が最大の苦であると言う考えには変わりありませんが、年を重ねるにつれ、「老」や「病」の重要性をひしひしと感じるようになりました。死ぬことへの恐怖は、大変なものですが、極楽浄土がその恐怖を緩和してくれると思います。

画像:生老病死
画像出所:photoAC

護王神社

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京都御所の近くに、イノシシで有名な護王神社があります。

ここに祀られているのが、和気清麻呂さん(733-799)です。清麻呂さんは、天皇なろうとしたあの道鏡さんの野望をくじきます。でも、道鏡さんの怒りをかい、足の腱を切られた上に、九州の山奥に流罪となります。さらに、その途上、道鏡の刺客が襲いかかるなど試練がありましたが、300頭ものイノシシが現れ清麻呂さんは救われます。道鏡さん失脚後、清麻呂さんは京都に復帰し大活躍します。さらに、足腰も治ります。

こうした故事から、イノシシと足腰の守護神として信仰されています。そのため、護王神社の拝殿には、霊猪像が置かれています。清麻呂さんは、以前10円札になりましたが、そのお札の裏には、イノシシが描かれています。

画像:護王神社
画像出所:護王神社 http://www.gooujinja.or.jp/

戒律

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仏教には、仏教教団の戒律は重要な要素です。上座仏教でもチベット仏教でも、それぞれの戒律を守っています。でも、日本では多くの出家者が妻帯肉食をしています。戒律はどうなったのでしょうか。

末木文美士氏によれば、日本の仏教の多くは、基本的には部派の律を採用しておらず、大乗戒を採用しているそうです。そして、これを採用し、日本に導入したのが最澄(766-822)さんだそうです。大乗戒にもいろいろな種類がありますが、最澄さんが採用したのは、梵網戒だそうです。他の律と比べますとたいへん緩いものです。

氏によりますと、元々大乗戒自体が、出家者の共同生活を行うための規則ではなく、世俗社会での信者(在家)が守るべきものとしての性質を有しています。また、具体的な規則ではなく、一種の精神的な心構えみたいものだそうです。氏の説を前提としますと、戒律については、出家者も私達のような在家者も同じになります。私達が、出家者と変わらないぐらい、極楽浄土へ行けることを示しているかもしれません。


参考文献
末木文美士(2013)『浄土思想論』春秋社

画像:最澄
画像出所:ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E6%BE%84

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仏教は、人生は苦であるということが前提になっています。この苦を脱することが、悟りに至ります。

ただ、人生確かに苦も多いですが、楽しいことも多いはずです。美味しいものを食べたり、映画を見たり、楽しいこともありますので、仏教は、ちょっと悲観的すぎるのではないかと思われる方もおられるかもしれません。

これは、原語(パーリ語)のdukkhaを苦と訳したことから来ています。確かに、苦も含まれますが、もう少し範囲が広いです。英語でも見てみますと、suffering、pain、unsatisfactoriness、stressなどです。日本語と同じように苦ではありますが、「不満足」が含まれています。つまり、快楽に対する不満足です。どのような快楽も、一時的です。また、人間の欲望として、どのような快楽を得ても、すぐ飽きてしまい、それ以上の快楽を求めてしまいます。美味しいものも、食べ続けることはできませんし、またどこかで飽きてしまいます。元々、欲望の対象は無常ですので、これを追いかけても満足はできません。

画像:苦
画像出所:photoAC

極楽浄土とパスカルの賭け

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極楽浄土は、存在するのでしょうか。死んでからのことなので、生きている人には証明できません。

こうした問題への対処として、フランスの哲学者パスカルが、その著書『パンセ』で語った「パスカルの賭け」が取り上げられます。これは、神が実在するかどうかの賭けで、賭け金は自分の人生です。神が実在するという方に賭けた場合、勝てば、永遠の生命と無限の喜びを得ることができます。もし、負けても、失うものは何もありません。

逆に、神は存在しないという方に賭けた場合、たとえ賭けに勝っても、現世の幸福だけしか得られません。死後、得られるものは何もありません。逆に負けたとき、来世の幸福をすべて失うことになります。

そのため、神が実在する方にかけた方が、有利だと言うことです。パスカルは数学者でもありますので、説得力があります。

画像:パスカル
画像出所:ウィキペディア 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%AB

死を忘れるな

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死生観が議論される中、よく死を見つめて生きることが説かれることがあります。人は、絶対に死にますが、日常、そのことを忘れています。自分の死を見つめることにより、日常の生活態度が変わることになります。例えば、毎日、些細なことで振り回されていることに気づくことができます。また、これまで漫然と生きてきたのが、自分の人生にとって何が大切なのかを意識して生きることができます。

よく引き合いに出されるのが、ラテン語のメメント・モリ(memento mori)で、「死を忘れるな」という意味で使われます(ただし、時代や信仰等によって様々な解釈があります)。こうした、死を見つめた生き方は、確かに、私達の人生訓として重要だと思います。

ただし、これで、死の問題が解決されたような論調には、疑問があります。この「死を忘れるな」で、結局死の恐怖から逃れられません。死の受容には至らないのです。やはり、極楽浄土が必要です。

画像:メメント・モリ絵画
画像出所:カラパイア http://karapaia.com/archives/52251168.html

『観心略要集』

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平安時代、『往生要集』の他にも極楽浄土を記載した書物はたくさんありますが、その一つとして『観心略要集』があります。

こちらも源信さんの著作だと言われていましたが、現在では、偽撰であることがコンセンサスです。そのため、作者はわかりません。内容は、天台宗の高度な理論によって、極楽浄土を証明しようとする試みです。極楽浄土や地獄の具体的な記述がある『往生要集』と違い、『観心略要集』は観念的です。また、修業の内容も天台宗の高度な修行法が述べられていますので、僧ではない私達には、難しそうです。

でも、ご安心ください。『観心略要集』で述べられる様々な修業は、極楽浄土に持ち越すことができます。まったく修業ができなくても、称名ができれば、往生ができることも述べられています。心強いですね。

画像:観心略要集
画像出所:京都大学 
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/en/collection/zokyo/nichi-mi?page=1

広隆寺牛祭

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広隆寺の牛祭は、京の三大奇祭の一つに挙げられる変わった祭りです。残念ながら、現在は中断されています。

この祭りでは、紙でできた仮面を着けた摩多羅神が牛に乗り、四天王の鬼と共に巡行します。薬師堂前で読んだ後、参加者が罵詈雑言を投げかけます。そして、摩多羅神と四天王は堂内に駆け込むという変わった祭りです。

とくに奇妙なのは、この摩多羅神の様相です。摩多羅神はどんな神なのでしょうか。この祭りは、元々広隆寺境内にあった大酒神社が行っていましたが、明治の神仏分離で、大酒神社が出ていった後、広隆寺が引き継いでいます。この大酒神社の主祭神の一人は、秦の始皇帝です。『渓嵐拾葉集』では、天台宗の円仁が、中国で念仏を習得するときに助けたのが、この摩多羅神とされています。阿弥陀信仰と関連した中国の神様ということでしょうか。

ただ、摩多羅神と天台本覚思想との関係も指摘されています。天台本覚思想とは、迷いと悟り、娑婆と浄土等を同じとみなす現実肯定の思想です(詳細は、別の機会にご紹介します)。『渓嵐拾葉集』も本覚思想と関係が深いです。また、摩多羅神についてその他様々な説がありますので、今後、調べてみたいと思います。

画像:広隆寺牛祭
画像出所:京都観光Navi 
https://ja.kyoto.travel/tourism/single02.php?category_id=1&tourism_id=1347

三宝荒神

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仏教の三宝(仏陀、法、僧)を守る神様に、三宝荒神がいらっしゃいます。インドの神様ではなく、日本独自ですが、修験道(山岳信仰)、神道、陰陽道、密教の要素が入ったハイブリッドな神様です。神様は、三面三眼六臂で、それぞれ如来荒神、麁乱荒神(そらんこうじん)、忿怒荒神(ふんぬこうじん)の三身です。つまり、顔が三つ、ひとつの顔に眼が三つ、手は6本となります。

この神様を祀る寺院や神社は、西日本を中心に沢山ありますが、その一つが、京都市上京区にあります護浄院です。近くに、「京の七口」の一つ「荒神口」がありますが、この名前は、このお寺から来ています。

京の七口とは、京都につながる街道の代表的な出入口を指しますが、実は、どの口を指しているか諸説あります。そのため、口は、七つ以上あります。

画像:護浄院
画像出所:京都観光Navi https://ja.kyoto.travel/tourism/single02.php?category_id=7&tourism_id=288

人の恨みの恐ろしさ

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個人的には、『発心集』の中で1,2を争う怖い話があります。

ある僧の家に、橘の木があり、おいしい実がなっていました。その隣に、老尼が住んでおり、重病で何日もものが食べられない状況でした。どうしたことか、老尼は、橘の実を食べたいと思い、人をやって隣の僧にたのみました。でも、僧はひとつも渡しませんでした。老尼は、怒り、これまで浄土を目指していたのをあきらめ、橘の実を食べる虫になることを願い、亡くなります。その後、橘の実の中には、白い虫が入っていて食べられています。一つの実だけではなく、たくさんの実で同じ状態です。何年もこうしたことが続いたため、僧は、橘の木を切り倒してしまいます。

老尼は、たくさんの虫に生まれ変わったのかもしれません。それにしても人の恨みは、恐ろしいですね。また、橘の実で、浄土をあきらめてしまうのは、本当にもったいない気がしますが、これも人の心の不思議です。

画像:橘の木
画像出所:ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%81%E3%83%90%E3%83%8A

『発心集』の教訓話

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『発心集』の中には、教訓譚のようなものもあります。その中の一つが、比叡山から下山してきた僧の話です。

河合神社のところで、3人の子供が言い争いをしています。理由を聞くと、神の御前で読むお経の名前を何というかでもめていたそうです。一人は「真経」、もう一人は「深経」、最後の一人は「神経」と言って引きません。僧は、「心経」という名前であることを子供たちに諭しました。子供たちは、争いを止めて、去っていきました。

僧は、そのあと、突然めまいがして倒れます。そして、夢の中で、神があらわれます。神が言うには、子供たちが言い争いをしていたのには、それぞれ根拠があり、興味深く聞いておられたそうです。それを、僧が決めつけたため、子供たちが話し合うのを止めて、去っていってしまったと残念がります。この説話に対して、長明さんは、神が仏法を尊んでいることのみに言及していますが、教訓としての解釈もありそうですね。教育に役立つかもしれません。

画像:河合神社
画像出所:下鴨神社 https://www.shimogamo-jinja.or.jp/bireikigan/

魚をいただくこと

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『発心集』に聖と魚の話があります。

ある聖が、琵琶湖で網打ち舟が大きな鯉を捕っているのを見かけました。鯉はまだ生きていて、ばたばたと音をたてています。聖は、かわいそうに思い、その鯉を買い取り、湖に帰してあげます。その夜、聖の夢の中に翁が現れます。翁は、今日助けられた鯉だと言い、聖を恨んでいると言います。良いことしたと思っていた聖は、怪訝に思いそのわけを聞きます。翁は、加茂社の供物になるはずであったと言います。自分は魚に生まれ、悟りを得る機会がないので、供物になることによって畜生道から抜け出そうとしていたそうです。それを、聖が邪魔したと説明しました。

以上が、概略ですが、畜生が食べられることによって、畜生道から出ることができるという論理は、比較的多く見られます。そう考えれば、生き物をいただいている私達の罪悪感も緩和されます。ただ、この論理は、娯楽としての狩りなどに適用されてきますが、これはちょっと危険な気がします。

画像:上賀茂神社
画像出所:上賀茂神社 https://www.kamigamojinja.jp/

熊野観心十界曼荼羅:老いの坂

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熊野観心十界曼荼羅は、仏・菩薩・声聞・縁覚の四聖界と、天上界・人間界・阿修羅界・餓鬼界・畜生界・地獄界の六道を併せた十界が描かれています。

この中で、人間界は、老いの坂として表現されています。スタートは赤子からはじまり、その子が成長し成人し、結婚し、子供を得、そして老いて亡くなるという人間の一生が描かれています。人の一生にあわせて、風景も変わります。若い時は桜や梅、成人期には松や杉、老いていくに従い紅葉から枯れ木になります。まさに、人生と四季とを対応させています。これを見ると、自らの人生を考えさせられますね。

別の見方をしますと、スタートとゴールとも異界に近いと考えることができます。つまり、子供と老人が異界に近い存在として考えられます。神様等、異界の住人は、子供や老人の姿を取ることも多いのは、この両者が異界と親和性があるからかもしれません。

画像:西大寺所蔵:熊野観心十界曼荼羅
画像出所:西大寺 http://www.saidaiji.jp/about/precinct-guide/kanjin-jikkai-mandara/

インド密教の儀礼

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前回お話しましたように、インド密教の瞑想は、瞑想者自らが、呼び出した尊格と一体となり、尊格を自由にあやつれるようになるというユニークなものです。こうした観想法を成就法と呼ばれるそうです。

森雅秀氏によれば、この成就法は、それ自体が密教の実践法として独立したものでありますが、儀礼の中にも取り入れられています。つまり、尊格自体を生み出してから、供養が行われます。このような成就法は、バラモン教やヒンドゥ-教の儀礼とは明らかに異質です。どちらかと言えば、シャーマニズムに似ています。

こうした成就法は、行者が、自分の身体の中から外に尊格を出して礼拝等を行う形態から、時代が下がるにつれ、行者自体が、尊格を中にとどめ、自身が尊格として儀礼を行う比重が高まっていったそうです。マンダラを用いる儀礼の場合、阿闍梨はマンダラの本尊と一体となり、本尊そのものとして儀礼を行うそうです。神秘的ですね。

参考文献
森雅秀(1997)『マンダラの密教儀礼』春秋社

画像:胎蔵界曼荼羅
画像出所:ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BC%E8%8D%BC%E7%BE%85

インド密教の瞑想法

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今回は、森雅秀氏の本から、インド密教の瞑想法についてお話します。

瞑想の基本は、仏を観想する観仏です。これは、阿弥陀仏や極楽浄土を観想する、浄土教と似ています。ただ、インド密教は、単に仏を観想するだけではありません。三昧耶薩埵(さんまやさった)と智薩埵(ちさった)と呼ばれる二つのイメージを創出し、一体化させます。まず、行者は、自分の胸に月輪を思い浮かべ、そこに尊格固有の文字を置きます。そして、その文字から尊格のシンボル、そして尊格自体のイメージに至ります。この瞑想された尊格が、三昧耶薩埵と言われるものですが、仮の姿で、実在しません。

この三昧耶薩埵をのせた月輪が光を放ち、智薩埵を招きます。この智薩埵は、三昧耶薩埵と同じイメージですが、尊格自らが真の姿をとったものです。この智薩埵を三昧耶薩埵に挿入して、両者を一体にします。なんと、行者は、その結果、その尊格と一体であるという認識を持つとともに、その尊格を自由にあやつれるようになります。相当難易度の高い瞑想ですね。

参考文献
森雅秀(1997)『マンダラの密教儀礼』春秋社

画像:インド密教
画像出所:北日本新聞 https://webun.jp/item/7558792