法会の御供え物

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法会の御供え物は、昔から子供など多くの人々に分けられたそうです。お供え物は、公共のものであるという考えが定着していたのでしょう。また、仏の教えにも則ったものであるかもしれません。

『今昔物語集』巻19第21話「密造した酒の中に蛇がいる話」では、このお供え物を独り占めにする僧とその妻が登場します。二人は、お供えの餅をたくさんもらいながら、誰にもあげず、家にとっておきました。そして、この餅で、酒を密造します。壺に餅をいれて十分な月日が経ちましたので、壺の蓋を開けるとそこには、たくさんの蛇がいました。驚いて、蓋を閉め、僧は、これを遠くの野原に捨てました。たまたま、三人の男がその壺を見つけ、蓋を開けるとお酒でした。彼らは、このお酒を飲み、この話が、僧の耳に入ります。自分たちだけ、酒が蛇に見えたことに、御供え物を勝手に自分のものにした自らの罪深さに反省をします。

やはり、お供え物はみんなで分けるのが、仏の教えなのですね。

画像:お供え物
画像出所:終活ねっと
https://syukatsulabo.jp/obosan/article/8141

上田秋成と宗派

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上田秋成さんは、『雨月物語』で、「青頭巾」というお話を書いています。

このお話では、ある寺の阿闍梨が愛童への愛欲から、人食いの鬼に堕ちます。その地に、禅師快庵が訪れますが、村人の要請で、鬼の阿闍梨の住む寺に行き、彼と会います。快庵は、怪異を恐れず、鬼の阿闍梨に教えを説きます。鬼は、快庵の徳に心打たれ、自らを断罪します。その後、村では、人食いの事件が起こらなくなりました。1年後、快庵は、再び鬼の阿闍梨の住む寺を訪れますが、鬼の阿闍梨は骨と青頭巾だけを残して消えてしまっていました。快庵は、村人の頼みで、その寺の初代住職に就きます。

ここで、問題になりますのは、鬼の阿闍梨が真言宗の僧で、禅師快庵(実在の人物だそうです)が曹洞宗の僧であることです。真言宗の僧が、曹洞宗の僧に教化されることになります。実際、物語では、そのお寺が真言宗から曹洞宗に変わったとされています。ただし、作者秋成さんの仏教観や宗派については、わかっていません。この物語に込められた意図については、謎が多いです。

画像:上田秋成
画像出所:ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E7%94%B0%E7%A7%8B%E6%88%90

山越迎講

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迎講が来迎図に与えた影響については、これまでも研究されてきました。ただ、来迎図は現存しますが、迎講は文献や後年に描かれた絵図から推測するしかないので、難しい研究対象です。逆に、来迎図から当時の迎講に関するヒントがあるかもしれません。

来迎図の中には、山越来迎図というジャンルがあります。大串純夫氏は、そのうち、川崎家旧蔵の作品と京都国立博物館の作品が、迎講の影響を受けているのではないと指摘します。氏は、さらに、これらの来迎図から山越迎講が行われていたのではないかと推測します。『今昔物語集』巻20第12話「伊吹山三修禅師得天狗迎語」や、巻19第4話「摂津守源満仲出家語」に山越迎講に想像させる話が記されていることを根拠としています。

今後の研究の進展が期待されます。

参考文献
大串純夫(1983)『来迎芸術』法蔵館

画像:山越阿弥陀図(京都国立博物館)
画像出所:文化遺産オンライン 

臨終用心2

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前回に続き、『臨終用心』をご紹介します。前回お話した以外に、おもしろいポイントを挙げさせていただきます。

まず、病人の耳や口へ声高に念仏を吹き入れることを禁止しています。また、病人の前で、泣くこと、語りかけること、家の財産について語ること、肉親など愛する者を近づけること、憎んでいる者と会わせること、病人の気持ちにさからうことを注意しています。

また、臨終前だけでなく、臨終後についても記されています。死後、死骸を頭北面西にし、手足を折り曲げるなどの行為は必要ないとしています。手足を折り曲げるのは、日本古来の風習かもしれません。死骸の入棺は、2日経過したあと、行うべきだと注意しています。また、身体に温かいところがある場合は、それ以上待つ必要があるとしています。3-5日後に蘇生する人の例があるからです。

画像:釈迦涅槃図
画像出所:本間美術館
https://www.homma-museum.or.jp/column/page/57/

臨終用心

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『臨終用心』は、可円さん選集で、1780年に発行されています。

臨終行儀が盛んであった平安・鎌倉時代から、だいぶ時代が下がります。そのため、内容は、宗教的・儀式的なものから、実務的なものに変化しています。また、長い間の臨終の際の経験が積みあがった結果かもしれません。

例えば、第一に、「看病人は病人の心にそむいてはならぬこと」が記されています。その中で、病人がからだによくないものを欲する場合には、「ない」と言うのではなく、説得するよう説かれています。また、病人が看病人に悪口を言っても、口答えや無視することを戒めています。さらに、病気がどれほど長くても、退屈して、病人がはやく死ねばいいなどと思ってはいけないことも注意しています。現在のターミナルケアにも通じるものがあるように思います。

画像:阿弥陀聖衆来迎図
画像出所:長野市文化財データベース
http://bunkazai-nagano.jp/modules/dbsearch/page1141.html

臨終正念訣2

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前回に続き、『臨終正念訣』の4つの問答です。

第2の問いは、医療と薬です。答えは、医療・薬は病気には効くが、寿命には利かないというものです。ただし、病人が望めば、医療・薬を否定してはいません。これは、当時の医療レベルを考慮する必要があるでしょう。

第3の問いは、神々に祈ることです。答えは、人の寿命は生まれた時に決まっているので、神々に祈っても無駄というものです。この場合は、中国の神々ですので、どのような性格の神々なのかは検討が必要でしょう。

第4は、普段念仏をしていない人でも、浄土往生の法を用いることができるかという問いです。答えは、僧侶であろうと一般の人であろうと念仏をしたことがなくても、これを用いて皆が浄土往生できることは絶対に間違いがないというものです。これは、心強いですね。

画像:阿弥陀三尊来迎図
画像出所:福井の文化財
http://info.pref.fukui.jp/bunka/bunkazai/sitei/kaiga/28kenpontyakusyoku-amidasannzonnraigouzu.html

臨終正念訣

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中国の臨終行儀を扱った経典で、最も古いものの一つとして、『臨終正念訣』が挙げられます。日本の臨終行儀に大きな影響を与えました。以前、善導さん(613-681年)が作者とされていましたが、現在では作者がわからないというのが通説になっています。知帰子という人が、臨終行儀について浄業和尚という人に4つの問いをし、和尚がそれに答えるという形式をとっています。今回は、第1の問答について、ご紹介します。

第1の問いは、ずばり極楽浄土への道です。答えは、死を恐れ、生きることに執着することを止めるということです。常に、自分の身には様々な悪業がまとわりついていることを自覚する事を説いています。

さらに、看病人の心得も記されています。看病人は、死を迎えようとしている人に、雑事や安っぽい慰めなどを話さないよう求められています。また、病人が死を迎えるときには、看病人は、ただ阿弥陀仏を想い、念仏を続けることを説いています。

画像:絹本著色仏涅槃図
画像出所:ホットライン教育ひろしま
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/bunkazai/202020510.html

近世の宿縁

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前回、中世での宿縁について、お話しましたが、今回は、近世での変化について採り上げます。

『雨月物語』に「貧福論」というお話があり、そこでお金の精霊が、貧福についての持論を展開します。精霊は、現在裕福なのは前世の善行のおかげであり、貧しいのは全盛の行いが悪かったとする、お金に関する宿縁を非難します。「えせ仏法」とまで、言い切ります。

前世で、自分を修め、慈悲の心で人々と交際した人が、その善行で、現世ではお金持ちの家に生まれて、財力にまかせて他人に威張り、たわごとを言い、野蛮な心を見せるのは、どんな報いによるものかと問います。そして、仏菩薩は、名誉や利得をお嫌いになるではないかと主張します。お金の精霊のこの主張は、道理にかなっているように思えます。時代と共に、宿縁の考え方も変わっていくのでしょう。

画像:雨月物語
画像出所:アマゾン

宿縁

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中世の説話によく出てくる考えが、宿縁です。現世の状況が、前世からの因縁によって説明されるという考えです。まさに、仏教の輪廻転生から来ています。

現在、努力もしないのに生まれつき幸福な人は、前世で善行を積んでいたと考えられました。一方、どんなに努力しても恵まれない人や、とんでもない不幸に会う人は、前世で悪いことをしたととらえられます。この宿縁の考えに立ちますと、極端な現実肯定がとられ、世の中の矛盾について疑問を持たなくなります。例えば、身分などは肯定されてしまいます。その意味では、宿縁は危険性を持っています。

ただ、宿縁を否定してしまいますと、良いことをしている人が不幸になったり、悪いことをしている人が逆に幸福な人生を送っていることに説明ができなくなり、人生を生きにくいものにしてしまいします。宿縁では、たとえ良いことをしても報われなくても、より良い来世が待っていることになります。したがって、宿縁は、危険な考えではありますが、必要なものとも考えられます。

画像:宿縁寺
画像出所:西尾観光 http://nishiokanko.com/goshuin/goshuin_003

「浦島太郎」の別バージョン

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「浦島太郎」は、日本人の他界観を考える上で、よく取り上げられるテーマです。

香川県に口承で伝わった「浦島太郎」は、私達が馴染んだ「浦島太郎」と若干違っています。話の筋は、ほぼ同じですが、細部とラストが違っています。浦島太郎が竜宮城に行くきっかけは、いじめられた亀を助けたのではなく、亀を釣ってしまい、それを助けたことからです。竜宮城での乙姫と素晴らしい日々、現実世界に戻ると長い時が流れており、知っている人がいなくなってしまい、玉手箱を開けるとおじいさんになってしまうことは同じです。

違いは、ここで浦島太郎は鶴に変身します。また、乙姫は、浦島太郎を見に来るため、本来の姿である亀になって浜に上がってきます。そして、鶴と亀が舞う伊勢音頭が、この話から来ていると締めくくられます。乙姫は、亀だったのですね。

画像:浦島太郎
画像出所:ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%A6%E5%B3%B6%E5%A4%AA%E9%83%8E

演劇的迎講

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極楽浄土から阿弥陀仏と聖衆が、臨終者をお迎えにくる様子を演劇的に表現する「迎講」という法会があります。今日でもいくつかの寺院で行われていますが、奈良の当麻寺の「練供養」がとくに有名です。

源信さんが始めたとも言われますが、当時どのような迎講であったかは、まだよくわかっていません。現在のようなスタイルは、諸説ありますが、12世紀前半に始められたとされています。それ以前の迎講と分けるため、演劇的迎講と言われることもあります。

この演劇的迎講は、書物によって伝えられていますが、絵画して示されていますのが、當麻寺縁起に描かれた迎講となります。1532年の作品ですので、当時と現在の迎講を比較するのも面白いかもしれません。

画像:當麻寺縁起
画像出所:ブッダワールド http://www.buddha-world.jp/file/pickup/vol015/index.html

高野山納骨

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高野山は、真言密教の総本山です。即身成仏を目指し、極楽浄土の浄土思想とは相容れないこことが多いです。でも、元々、山岳信仰の影響もあり、山自体に往生を見る信仰も受け継がれています。そのためか、12世紀頃から、遺骨や遺髪を納めることが行われ始めました。はじめは、皇族や貴族が中心でありましたが、徐々に庶民にも広まってきました。

高野山側も、こうした往生信仰を布教に用いるようになります。聖が全国に唱導を行って、納骨を勧めていきました。とくに、源信さんの『往生要集』以降は、高野山側でも、浄土思想を積極的に教義に取り入れていきます。もちろん、真言密教と浄土思想には矛盾も多いですが、その融合を図る取り組みも行われ行きます。とくに覚鑁さんは、その両者の思想的統一に多大な努力をしました。

画像:覚鑁
画像出所:慈眼寺 http://www.sakado-jigenji.jp/column/5.html

豊臣秀次さんの怨霊

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前回、『雨月物語』を取り上げましたので、今回もその話を紹介します。

『雨月物語』では、崇徳上皇以外にも、豊臣秀次さんの怨霊のお話もあります。御存じのように、秀次さんは、伯父の豊臣秀吉さんに、本人だけでなく一族全て殺されました。その恨みは、崇徳上皇に勝るとも劣らないものです。ただし、物語の中で、秀次さんの怨霊は、この世に災いを成すようなことはしておりません。怨霊としては、害が少ないと言えます。

これは、怨霊を生み出した人によるのでしょう。崇徳上皇の場合は、ライバルである後白河天皇やその配下の貴族です。彼らは、崇徳上皇の恨みを恐れました。これは、他の大怨霊として恐れられている早良親王、菅原道真さん、平将門さんと類似しています。早良親王の怨霊を恐れたのは桓武天皇、菅原道真さんの怨霊を恐れたのは醍醐天皇と藤原氏、平将門さんの怨霊を恐れたのは朝廷です。つまり、皇室や貴族が怨霊を恐れたのです。一方、秀吉さんは、最も残酷なことをしたのにもかかわらず、秀次さんの祟りなどまったく気にかけなかったのでしょう。貴族と戦国武士の違いが、怨霊の違いに影響を与えていると考えられます。

画像:豊臣秀次
画像出所:ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E8%87%A3%E7%A7%80%E6%AC%A1

崇徳上皇の呪い

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平安時代の怨霊の代表格は、保元の乱で恨みを残し亡くなった崇徳上皇です。

朝廷は、様々な崇徳上皇の怨霊を鎮めることを行いましたが、結果はどうなのでしょうか。時代は下がり、江戸時代に上田秋成さんによって書かれた『雨月物語』に、「白峰」という物語があります。これは、平安時代、西行さんが崇徳上皇の怨霊を成仏するように説得するお話です。結論から申し上げますと、崇徳上皇の恨みは大きく、西行さんの説得は失敗します。崇徳上皇の呪いで、平治の乱が起きますが、源平の合戦も引き起こされようとするところで話は終わります。

江戸時代において、崇徳上皇はまだ鎮まっていないと捉えられていたのかもしれません。光明天皇・明治天皇によって京都に建立された白峯神宮に、崇徳上皇の霊をお招きしたのは、そうした背景があったのかもしれません。

画像:崇徳上皇
画像出所:歴史マガジン https://rekijin.com/?p=31470

『往生要集』の臨終行儀

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臨終行儀は、源信さんの『往生要集』が起点となっていますが、どのような内容なのでしょうか。今回は、作法ではなく、看病人双方の心得についてお話した意と思います。『往生要集』には、この心得を十項目で示しています。神居文彰氏は、その十項目を以下のように要約されています。
1.大乗の教えに帰依。三宝に帰依すること。
2.この世界を厭い、遠ざかる。
3.浄土を欣求する。
4.往生のための行(業)を行う必要がある。
5.悟りを求める心を発して、念ずる。
6.ひとえに阿弥陀仏を念じて、修業を更に盛りたてる。
7.阿弥陀仏の身体の一つの相を念じて、心をその一点に集中させる。
8.阿弥陀仏の大悲の光明は、必ず照らして下さることを知る。
9.阿弥陀仏は、必ず、大光明を放ち、聖衆とともに引接し、擁護して下さることを知る。
10.一心に阿弥陀仏を念じて、必ず西方浄土に往生する。
このうち、7、8、9条が最重要となるそうです。

参考文献
神居文彰・藤腹明子・長谷川匡俊・田宮仁(1993)『臨終行儀』北辰堂

画像:往生要集
画像出所:アマゾン

捕鳥部万(ととりべ の よろず)

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捕鳥部万さんは、飛鳥時代に物部氏に仕えた武人です。物部氏は、丁未の乱で蘇我氏に敗れ、捕鳥部万さんも逃げますが、追手が迫ります。日本書紀では、追手に対して、弓矢で30人ほど射殺しますが、最後、首を小刀で刺して自害したと伝わっています。朝廷は、万の死体を八つに切り、串刺しにして八つの国にさらすよう命じます。

民俗学者折口信夫さんの説によると、日本古来では、霊魂の復活を怖れて死体を分割する習慣があったそうです。その意味では、朝廷は、捕鳥部万さんの復活を怖れて、このような指示を出したのかもしれません。ただ、実際串刺しにしようとすると様々な怪異現象が起こったため、墓に葬られたそうです。

画像:捕鳥部万
画像出所:ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8D%95%E9%B3%A5%E9%83%A8%E4%B8%87

源信以前の臨終行儀

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臨終行儀は、源信さんの『往生要集』や「二十五三昧会」で広がりますが、それ以前はどうだったのでしょうか。

皇室では、殯(もがり)が行われておりましたが、それ以外の人々については、あまりよくわかっていません。中国の文献に臨終行儀について書かれたものがあり、日本にも伝わっていましたが、それが実践されていたかは微妙です。僧が、臨終を迎えようとする人に寄り添うことはあったのですが、僧の役割は、病気の治癒であって、臨終を取り扱うものではありません。臨終や葬儀には、別の専門家が行ったそうです。それが、徐々に臨終行儀や葬儀が僧に移っていったのは、興味深いですね。

画像:来目皇子殯斂地
画像出所:eo  http://www.eonet.ne.jp/~ryobo-youran/west/009.htm

イスラムの死生観

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イスラムでは、輪廻転生のような概念はなく、1回の現世と1回の来世のみです。

現世において、終末が到来し、神の裁きが行われます。死んだ人も、その日に蘇ります。死んだら、すぐに来世が始まる訳ではないのです。来世は、この週末の日から始まります。来世は、永遠で、天国と地獄に分けられます。輪廻転生のように、何度も生まれ変わって、善行を積み上げていくのではなく、1回の現世の行いがすべてになります。その意味では、チャンスはこの1回の人生のみとなります。

画像:モスク(アスワン)
画像出所:ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%AF

中国の山中他界観

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前回に続き、中国の死生観です。古代中国では、魂は山東半島の根元にある泰山に還ると信じられていました。鬼を治める神様が、そこにいると信じられていました。

他界を、この世から離れたところではなく、身近な山に想定することは、日本の山中他界観に通じるものがあるように思われます。その後、仏教の影響で浄土や地獄の概念が入ってきます。浄土は、上清天という天上に考える信仰が出てきます。また、泰山は地獄としての役割に変化していきます。

この地獄では、三官と呼ばれる者たちが、視野の籍簿を持って、管理していると考えられました。閻魔大王をはじめとした十王に近い存在でしょうか。遠く離れた世界に、地獄を想定するインドの死生観とは異質です。日本は、この中国の他界観に近いのかもしれません。

画像:泰山
画像出所:世界遺産オンラインガイド
https://worldheritagesite.xyz/mount-taishan/

中国の死生観

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中国の死生観は、どのようなものなのでしょうか。日本のように極楽浄土を願っているのでしょうか。

中国の場合、儒教や道教が大きな影響を持っています。儒教は、宗教かどうか微妙ですが(儒学の方が良いかもしれませんが)、死についてどのように考えているのでしょうか。孔子さんは、死の問題等、現実から離れた話題を避けていたと言われており、思索はこの生をいかに生きるかに絞られていました。

道教は、仙人願望がありますが、仙人はこの世の存在です。人間よりは、長寿でありますが、はたして永遠の存在かどうかはわかりません。仙人にも死が訪れることはあるでしょう。

このように、儒教も道教も、現世への関心がほとんどであって、来世を思い描くことはあまりなかったと考えられます。その意味では、中国の死生観は、日本と比べ、現実主義的であるのかもしれません。

画像:孔子
画像出所:中国語スクリプト http://chugokugo-script.net/rekishi/koushi.html