天台本覚思想の相即論

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天台本覚思想の特徴として、相即論があります。対立する二つの概念を、同じ(即)であると結びます。例えば、煩悩即菩提、娑婆即浄土などです。

元々人は悟っているという、迷いと悟りを同一視していますので、すべてが一体視されます。どこか、弁証法にも似ているかもしれませんし、対立する二つを単にイコールで結ぶだけでなく止揚の意味もあるかもしれません。

悟り等に対立するものは、できるだけマイナスの概念が選ばれます。そのマイナスのものに、真理を見ようとします。これは、インド密教の最終段階で、不浄なものに悟りを見ようとしたことにも似ているような気がします。人類の思想のクセなのか、様々な思想に、類似性があるように思います。

画像:ヘーゲル
画像出所:ウィキペディア 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%AB

仏教と土着思想の融合

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本覚思想が仏教と土着思想の融合であるということは、何も日本だけの話ではありません。中国でも同様です。

ピーター・N・グレゴリー氏は、中国の仏教者、宗密さん(780-841)を取り上げます。宗密さんの根源実在論は、本覚思想に近いです。ここで、宗密さん自身は、道教の根源論を否定していますが、明らかに道教の影響を受けています。

宗密さんの思想は、いかに仏教と中国土着思想を融合、昇華させるものだったと言えるかもしれません。このような融合がなければ、中国で仏教が受容されることは、難しかったかもしれません。こうした先人の努力で、仏教が様々な国に伝承されたと思います。

参考文献
ピーター・N・グレゴリー(1995)「宗密と本覚思想の問題」駒澤大学仏教学部論集25号、p.p.209-240.

画像:圭峰宗密
画像出所:Buddha nature https://buddhanature.tsadra.org/index.php/People/Zongmi

思想的な類似性

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如来蔵をアートマンとする説をご紹介しましたが、これは天台本覚思想と梵我一如との類似性ともとらえられます。天台本覚思想の最終段階は、すべてが仏の顕現であると主張しますし、梵我一如では、すべてがブラフマン=アートマンになります。両者は、似ていますね。

ただ、これは天台本覚思想と梵我一如に限ったことではなく、このような汎神論的な思想は、ドイツをはじめとした西洋思想にも見られます。もしかしたら、人類が持つ共通思想的傾向かもしれません。

画像:シェリング
画像出所:ウィキペディア 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0

仏教の多様性

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松本史朗氏が、如来蔵をアートマンであるとする指摘は、説得力があります。氏はまた、このアートマンがインドで、仏教に入り込んだと指摘されています。

ただ、日本にもアートマン的な思想もあり、外来だけではないような気がします。真実の自己、というような考えは、民族を問わず、共有された概念かもしれません。

インドではじまった仏教は、様々な国に伝承されました。これは、仏教自体に多様性を認めるおおらかさがあったからだと思います。伝承された地域には、それぞれ土着の思想があり、仏教が受容されるとき、土着の思想と融合します。そのため、現在、様々な仏教があり、その教えは時には、相反することもありますが、それを含めて仏教であり、これが仏教の良さでもあるような気がします。

画像:ガンジス川沐浴
画像出所:ユーラシア旅行社 https://www.eurasia.co.jp/attraction/feature/india

如来蔵思想批判

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天台本覚思想への批判は、天台本覚思想のどの段階のものへの批判なのかを認識することが重要です。批判の多くは、後の段階、この世が仏の顕現であるという段階のものに対してです。

ただ、松本史朗氏は、初期段階、すなわち如来蔵思想に向けて批判されました。誰もが成仏できる可能性を持っている、つまり誰もが如来蔵を持っていることに批判されます。氏は、仏教の本質を縁起説、無我説に見ます。そして、この如来蔵がヒンドゥー教のアートマンであると指摘します。あの梵我一如のアートマン、個人に内在する真実の自己、霊魂等を指します。

アートマンは、つまり、「我」であり、無我を主張する仏教からは、否定されることになります。そのため、如来蔵思想は仏教でないとする結論を導き出されます。如来蔵をアートマンとする指摘は、十分説得力があります。ただし、何が正しい仏教かどうかは、定義する人によって違ってきます。私は、無我説も天台本覚思想も仏教だと思っています。

画像:『縁起と空』松本史朗氏
画像出所:アマゾン

天台本覚思想批判

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天台本覚思想は、評価されるとともに、激しい批判にもさらされます。その思想の中に、批判のタネが豊富にあるからです。

まず、すべての人が成仏しているなら、修行の必要が無くなります。修行不要論を、もたらす可能性があります。また、現実世界が肯定されるなら、恵まれない人々は、その現実を許容しなければなりません。また、教えが、口伝によるものですので、血脈によって教えが伝承されたり、金銭の対象となるなど、批判されるべき要素が多いです。

仏教思想の面で、過去、袴谷憲昭氏と松本史朗氏が、本覚思想が正しい仏教ではないため、批判されなければならないというネガティブキャンペーンをはじめられ、様々な議論が展開されました。どの説が正しいかはわかりませんが、こうした宗派横断的な議論は、意義があるように思います。次回は、松本史朗氏の説をご紹介します。

画像:『本覚思想批判』
画像出所:アマゾン

天台本覚思想の定義

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天台本覚思想の定義は難しく、様々な学者の方が議論されています。その理由として、この思想にはいろいろな段階があり、一括りでは説明できないからです。

でも、その基礎となっているのが、人々は皆、如来蔵(仏性)を持っているとする思想です。つまり、誰もが、仏になれる可能性を有しているということです。これは、比較的に受け入れやすい考えです。また、私達にも期待ができる考えですね。

天台本覚思想は、ここからさらに発展します。まず、成仏の範囲が拡大します。「草木国土悉皆成仏」と、草木にまで拡大します。平等主義が徹底されますが、輪廻には畜生道はありますが、草木道はなかったような?

さらに、天台本覚思想は、究極的なところに発展します。すべてのものは、全て成仏していて、この世界そのものが仏の顕現という考えに至ります。そして、この世界が浄土であり、この世界以外に真理はないという現実肯定の思想となります。

画像:草木国土悉皆成仏
画像出所:南知多町教育ネットワーク 
http://minamichita.ed.jp/kyoikucho/2013/11/11/no-181-%E6%A2%85%E5%8E%9F%E9%82%B8%E7%89%B9%E5%88%A5%E5%85%AC%E9%96%8B%E3%81%8C%E7%B5%82%E4%BA%86%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F/

天台本覚思想

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日本の仏教は、様々な宗派があり、多様です。そのため、日本仏教というくくりで、思想を語るのは非常に難しいです。また、共通のトピックというも、なかなか難しいです。ただ、数少ない話題として、過去大きな議論となったのが、天台本覚思想だと思います。

天台と名前がついていますので、天台宗が元になっていますが、他の宗派への影響も大きいです。もちろん、極端に賛否両論のある思想で、活発な議論がなされてきました。天台本覚思想は、仏教ではないという主張さえあります。また、仏教学者に以外からも、様々な議論がなされるのも、天台本覚思想の特徴でもあります。これは、天台本覚思想が仏教思想だけでなく、他の思想、文化、芸術にまで影響を与えたためだと思います。

次回以降、この天台本覚思想について考えていきたいと思います。もちろん、極楽浄土とも関係しています。

画像:比叡山延暦寺
画像出所:延暦寺 https://www.hieizan.or.jp/

サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想

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上座仏教の瞑想は、主にサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想の二つがあります。もちろん、定義や方法は様々な説がありますが、サマタ瞑想が心の働きを静める瞑想であるのに対し、ヴィパッサナー瞑想は仏教真理の洞察です。

サマタ瞑想は、インド古来のヨーガの伝統から来ています。お釈迦様は、心を静めるだけでは、苦を終わらせることができないとしてヴィパッサナー瞑想を行います。その意味では、ヴィパッサナー瞑想は、サマタ瞑想よりも上級者向けになります。ただし、ヴィパッサナー瞑想を行うには、サマタ瞑想を習得しないといけないとい意見もあります。現在、日本でも様々な瞑想センターで、こうした瞑想指導が行われています。

画像:ヴィパッサナー瞑想
画像出所:一般社団法人ヴィパッサナーバーヴァナー 
https://www.vipassanabhavana.org/jp/lecture/guide_lecture/

源信さん、法然さん、親鸞さんと浄土美術

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浄土美術の隆盛は、源信さんから始まります。浄土建築、迎講、来迎図等様々な浄土美術が発展します。源信さんは、極楽浄土への往生の方法として観想念仏を紹介します。そこでは、阿弥陀仏や極楽浄土を観想しなければなりません。そのため、阿弥陀仏や極楽浄土を描いたものが必要になり、こうした浄土美術が創作されます。とくに、極楽浄土は貴族の心をとらえ、彼らがこうした浄土美術のスポンサーになります。

その後、極楽浄土は、一般の人々にも広がります。彼らにとって、観想念仏は難しいですし、浄土美術のスポンサーになることもできません。その後、法然さん、親鸞さんが登場し、一般の人々にやさしい称名念仏が普及します。その結果、阿弥陀仏や極楽浄土を観想する必要がなくなります。とくに、親鸞さんは、称名念仏に徹底しましたので、彼の時代には、浄土美術は衰退していきます。

画像:平等院阿弥陀如来像
画像出所:平等院 https://www.byodoin.or.jp/learn/sculpture/

日本仏教の多様性

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英国の宗教学者イアン・リーダー氏は、四国巡礼をサポートする巡礼講の人々を調査しました。

御存じのように、四国巡礼は弘法大師信仰です。そのため、巡礼講の人々は、弘法大師を崇拝していました。ところが、彼らの所属している宗派を聞いてみると、その多くは、弘法大師の真言宗ではなく、浄土真宗だったそうです。氏は、驚きその理由を彼らに問いますが、彼ら自身は、なんの矛盾も感じていなかったそうです。氏は、再び驚きます。

巡礼講の人々は、現世での利益を弘法大師に、来世での利益を阿弥陀仏に求めています。これは、日本人にとって理解できることではないしょうか。何も仏教に限らず、宗教全体でもこうした多様性があります。新年には神社に行き、葬式はお寺、結婚式は教会といった選択を、私達日本人は自然に行います。こうした仏教や宗教への多様性は、日本の良いところだと思います。

参考文献
イアン・リーダー(2000)「あれは宗教、これが信仰:現世利益と日本の宗教」『往生考:日本人の生・老・死』p.p.321-330.

画像:お遍路
画像出所:高知新聞 https://www.kochinews.co.jp/article/291382/

相国寺

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京都の同志社大学の隣に、臨済宗のお寺相国寺があります。

室町幕府第三代将軍足利義満によって創建された禅寺です。数々の被災をうけてきましたが、その最大のものは、応仁の乱です。室町幕府の花の御所に隣接していたことから、合戦の場になりました。応仁の乱における最大の合戦も、この相国寺で行われました。

現在は、承天閣美術館を有し、伊藤若冲、円山応挙、長谷川等伯など国宝5点、重要文化財145点を所蔵しています。とくに若冲さんは、相国寺に恩を感じて数々の名作を残しています。その一つが「三尊像」で、この寄贈は、両親と自己の永代供養を願うためだったと言われています。動植物画が中心の若冲さんですが、実は仏画も描かれています。

画像:三尊像
画像出所:Pinterest

末期の水

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末期の水(まつごのみず)とは、息を引きとった個人の口元に水を潤す儀式です。宗派を問わず、日本のお葬式で古くからある慣習で、以前は臨終の間際に行われていました。その意味ですが、のどを潤して安らかに旅立ってほしいという願い等、様々の説がありますが、コンセンサスは得られていません。

ところで、1780年に発行された、可円さんが選集した『臨終用心』という臨終行儀の手引書があります。ここでは、末期の水が明確に否定されています。まず、仏教の経典にないと説かれ、臨終の心身共に衰弱しているときに、水を飲ませるのは拷問であり、苦痛を与えるにすぎないと言います。さらに、このような行いは、天魔の手伝いであるとさえ主張しています。

江戸時代に否定された儀式が、現在でも行われているのは、興味深いですね。

画像:末期の水
画像出所:全国葬儀サービス https://www.gishiki.co.jp/columns/471

良源さんと極楽浄土

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源信さんの師匠であります、第18代天台座主良源さん(912-985)も極楽浄土との関係が深いです。

良源さんは、焼失した堂塔や常行堂を再建したりと、比叡山再建に大きな貢献をしました。極楽浄土にも深い信仰を持ち、死者も出ると言うあの不断念仏の常行三昧を完遂しています。また、入滅時には、西に向かって合掌し、阿弥陀仏を口承したと言われています。

さらに、『観無量義経』の九品段に註釈を加えた『九品往生義』を著してられます。源信さん『往生要集』が実践面にフォーカスしたのに対し、良源さんの『九品往生義』は理論面が中心です。また、『九品往生義』は天台宗に限らず、南都仏教を含めた浄土思想をカバーしております。そのため、在家の人々には、難しい内容です。学術的要素が中心であります『九品往生義』は、『往生要集』のような普及はすることはなかったですが、極楽浄土に関する重要な著述です。

画像:良源
画像出所:大津市歴史博物館 http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/news/0905.html

数奇と仏教

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趣味と仏教の関係はどうでしょうか。歌や茶などといった芸事(数奇)は、仏教修業にプラスでしょうか、マイナスでしょうか。

仏教の基本理念は、執着を捨てることですので、数奇はあきらかに執着ですから、修業にはマイナスのように思われます。でも、世俗の地位や名誉をすべて捨て、隠遁生活を送ることが仏の道と考えた鴨長明さんも、数奇には肯定的です。本人が歌を得意としていたこともありますが、数奇が俗を離れたものと捉えていたのかもしれません。

天台本覚思想が芸道に取り入れられ、理論化されていくのに従い、数奇と仏教とが密接につながっていきます。口伝や血脈相続など、この天台本覚思想と芸道は類似性が高かったのも理由の一つです。そして、芸の修業が仏道修行に通じるとみなされるのに至ります。こうした仏教側からの助けによって、芸道、とくに能や茶などの新しい芸道が、世の中の公認を得ることができるようになったと言うことができます。

画像:茶道
画像出所:cookbiz https://cookbiz.jp/soken/culture/sado_kiso1/

中陰と四十九日

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輪廻による死から次の生への中間的な存在を中陰と言います。幽体のようなものでしょうか。

その期間が、49日と言われています。この間に、次の生を受ける場所が審査されることになります。この中陰に、十王信仰が重なり、1週ごとに各王に裁きを受けることになります。

ちなみに、閻魔大王は5週目です。このスケジュールに合わせて、関係者が追善供養を行うことによって、故人がより良いところで生まれることができます。ところで、十王は、10人ですので、49日では3人が余ってしまいます。そのため、百か日、一周忌、三回忌が加えられました。でも、故人は49日後再生しているはずなのですが、これらの追善は地獄などに堕ちた人を救うためみたいです。この十王信仰は、十三王信仰に拡大します。そして、七回忌、十三回忌、三十三回忌が加わりました。

画像:閻魔王
画像出所:ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%8E%8B

高野山阿弥陀聖衆来迎図

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平安時代の来迎図三大傑作のひとつである、高野山阿弥陀聖衆来迎図は、阿弥陀仏が、観音菩薩、勢至菩薩及び奏楽する聖衆に囲まれて、紫雲にのって来迎する構図です。三幅からなる大画面に描かれていますので、通常の来迎図と比べると大きいです。

現在、真言宗の総本山の所蔵ですが、実は天台宗比叡山にあったものです。織田信長さんの比叡山焼き討ちを逃れ、高野山で所蔵されることになりました。数奇な運命を持った来迎図ですね。

比叡山では、当時、通常この来迎図は勅封されており、毎年7月15日に開いたそうです。勅封されていたため、他の来迎図と比べて保存状態が良いです。15日は、よく迎講が行われた日ですので、この来迎図が本像とされていたのではないかという説もあります。また、この大画面は、迎講の本尊にふさわしいかもしれませんね。

画像:高野山阿弥陀聖衆来迎図
画像出所:高野山霊宝館 http://www.reihokan.or.jp/tenrankai/specially/10_12.html

法華寺絹本著色阿弥陀三尊及童子像

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平等院鳳凰堂九品来迎図、法華寺絹本著色阿弥陀三尊及童子像、高野山阿弥陀聖衆来迎図が、平安時代の来迎図三大傑作と言われています。

今回は、法華寺絹本著色阿弥陀三尊及童子像を取り上げます。画面いっぱいに描かれた説法印を結ぶ阿弥陀仏、雲に乗る観音菩薩・勢至菩薩と、持幡童子の3幅から成ります。

この3幅の成立年代や、配置については、様々な研究者が議論をしています。それは、すばらしい作品ではありますが、描かれ方に不自然さがあり、統一感に欠けているからです。阿弥陀仏は正面でどうどうとした描かれ方をしているのに対し、観音菩薩・勢至菩薩と持幡童子は緻密な描かれ方で来迎の動きをしています。そのため、先に阿弥陀仏の1幅が独立した作品として描かれ、その後、別の作者によって観音菩薩・勢至菩薩と持幡童子の2幅が付け加えられたのでないかと言われています。

また、見方も、正面に3幅を並立に置くのではなく、1幅を正面に、2幅を垂直に並べるなど立体的な使われ方をしていたのではないかとも言われています。とにかく、謎の多い来迎図です。

画像:法華寺絹本著色阿弥陀三尊及童子像 阿弥陀部分
画像出所:法華寺 https://hokkejimonzeki.or.jp/about/treasure/

常行三昧堂の来迎図

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前回、比叡山の常行三昧についてお話ししましたが、今回は常行三昧堂の来迎図についてです。

常行三昧堂は、第3代天台座主円仁さんの意向で、彼の没後建立されます。一旦焼失しますが、良源さんによって再興されます。当時の常行三昧堂について記された資料に、九品浄土図の記載があります。

平等院鳳凰堂の九品来迎図は、いまは現存しない法成寺阿弥陀堂の壁画を参照したと言われています。そして、この法成寺阿弥陀堂が、この常行三昧堂を基礎としています。したがいまして、常行三昧堂にあった九品浄土図は、来迎図であった可能性は高く、法成寺阿弥陀堂の壁画、そして現在観ることができる最古の日本の来迎図、平等院鳳凰堂九品来迎図に影響を与えていると考えられます。常行三昧堂の九品浄土図がどのような来迎図であったか、たいへん興味があります。

画像:常行三昧堂
画像出所:西照寺 http://www.maroon.dti.ne.jp/saisyouji/CCP070.html

常行三昧

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極楽浄土に関する様々な修行方法がありますが、最もハードなのが常行三昧です。天台宗による密教色の強い修行方法です。

本尊が阿弥陀仏であります比叡山常行三昧堂で、外界と遮断して行われます。堂の中では、ひたすら心に阿弥陀様を念じ、阿弥陀仏の名前を唱えながら昼夜歩き続けます。本尊の周囲に設置された手摺に寄りかかるか、天井から下げられた紐につかまって休む以外は、歩き続けます。これをなんと90日間行います。普通の人には、絶対無理ですね。

けが人だけではなく、ときには死者も出たといわれています。そのため、一時期禁止にもなっていました。在家者には、縁のない修行法だと思います。

画像:常行堂・法華堂
画像出所:比叡山延暦寺 https://www.hieizan.or.jp/keidai/saitou