ギリシャの輪廻思想

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輪廻思想は、ギリシャにもあります。オルペウス教の輪廻思想がそれにあたります。

人間の霊魂は神性を持つにもかかわらず、その罪により、輪廻転生により生死を繰り返す運命を負わされているとされます。この輪廻転生は「悲しみの輪」と言われています。戒律の順守や生活を浄めることによって、この輪廻から解脱することが目的となります。仏教を含めたインド思想の輪廻思想に似ていますね。

また、人間が神性を持つことは、人が仏性を持つとした如来蔵思想とも関連がありそうです。ただ、インド思想が業によって転生先が決まるのに対し、オルペウス教の輪廻思想では、人の後、あらゆる動物になったあと、やっと再び人に生まれるそうです。魂が一順するのにかかる年数は、なんと3000年です。

画像:オルペウス教のモザイク
画像出所:ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%9A%E3%82%A6%E3%82%B9%E6%95%99

「草木国土悉皆成仏」

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十数年前、日本でもちょっとしたブームになった「草木国土悉皆成仏」は、草木や国土でも、仏性を具えていて成仏するという思想です。日本のアニミズム(生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊が宿っている)に合った思想ですね。また、現実肯定的な天台本覚思想とも関連しています。

ただ、似た思想はインドにもあります。六師外道の一人ゴーサーラは、草木や石にまで霊魂を認めて、輪廻を語っています。でも、輪廻で石になったらと考えると、不思議な感じがしますが。

画像出所:Pixabay

善知識

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臨終行儀で重要なのは、仏道に通じ、臨終者を教導する善知識と呼ばれるエキスパートです。

真言密教の高僧覚鑁さんは、密教を取り入れた善知識の役割を説いています。覚鑁さんによれば、5人の善知識が必要になります。一人目は、臨終者を浄土に導く役目を持っています。二人目は、臨終者の集中を妨げる悪魔の攻撃を防ぐ役割を持っています。そのため、不動明王の真言を唱えます。三人目は、称名のリズムをとるために鐘を鳴らします。あとの二人は補佐となります。

また、善知識の座る位置も決められおり、曼荼羅が意識されています。不動明王の真言や曼荼羅はまさに密教ですね。以前お話ししましたように、当時の臨終行儀は、浄土教に密教などが入り混じっています。

画像:臨終の住まい
画像出所:中央公論美術出版 http://www.chukobi.co.jp/user_data/pdf/0587.pdf

『往生要集』における臨終行儀

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『往生要集』には、詳細な臨終行儀が述べられています。

作者源信さんは、善導さん等、様々な先学の意見を紹介しながら、説明がなされています。その中には、看病者の心得も記されていますので、現在のターミナルケアにも通じるところがあるかもしれません。看病者は、病人が、もし語ることあるならば、それを問うことを求めています。それが、自らの罪であれば、看病者も病人のために仏を念じ、懺悔して、かならず罪を滅する必要があります。また、見舞い来るもので、酒・肉・五辛(刺激の強い5つの野菜)を食する人は、遠ざけなければなりません。

『往生要集』の後も、様々な人々が、こうした臨終行儀の細部について説いています。それだけ、多くの人の関心が高かったのでしょう。

画像:来迎図
画像出所:長圓寺 http://chouenji.org/news/buddhism/entry-36.html

羅城門

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平安京におきまして、朱雀大路の南端に設けられた門が羅城門です。門の外は洛外となります。

時代とともに、羅城門の付近は寂れていき、とうとう死人の置き場となってしまいます。『今昔物語集』巻29第18話に、当時の羅城門が描写されています。死んだ女性が捨てられており、その女性の髪の毛を抜いている老婆が登場します。ひとりの盗賊がその老婆に遭遇し、その理由を問うと、鬘に売ろうとしていると答えます。その盗賊は、その死人の女性の着物と、老婆の着ている着物、さらには死んだ女性の髪の毛を奪って、逃げていきました。なんとも殺伐した風景です。

芥川龍之介さんは、この話からインスピレーションを得て、小説『羅生門』を書いたことでも有名です。

画像:羅城門模型
画像出所:ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%85%E5%9F%8E%E9%96%80

閻魔大王の変遷

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閻魔大王は、地獄の主で、審判を下す存在です。ただ、もともとは天界の住人です。それが、どうして地獄に移ったのでしょうか。

閻魔堂王は、もともとはバラモン教の神様で、それが仏教に取り入れられたと言われています。バラモン教では、閻魔堂王は、神様になる前は、人間、それも最初の人間ヤマとされています。最初の人間ですので、最初の死者となります。これが、地獄と結びつく要因になっているかもしれません。ただ、ヤマは死んだ後、天界に行きます。

その後、仏教論書『倶舎論』では、閻魔大王は、餓鬼界に移ります。そして、さらに下層である地獄に行くことになります。六道の最上層から、最下層への移動になりますね。

画像:十王図 
画像出所:正延寺 http://www.yamano.or.jp/jyuuouzu/ennma.html

仏教の宇宙観

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仏教では、この地球はどのようにとらえられていたのでしょうか。

まず、虚空に風輪という巨大な円柱が浮かんでいます。この風輪の上に、この風輪の直径より小さな直径を持つ水輪と呼ばれる円柱が乗っかっていることになります。さらに、この水輪の上に、同じ直径を持つ金輪が乗っています。私たちは、この金輪の上にいることになります。

そして、金輪の中心に須弥山がそびえ、金輪の最外辺には鉄囲山が囲んでいます。須弥山は、なんと直方体で、金、銀、瑠璃、玻璃からできています。もちろん、鉄囲山は鉄でできています。ゼロを生み出したインドらしく、なんとも幾何学的な宇宙観ですね。

画像:須弥山
画像出所:Pinterest

若い魂

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前回に続き、日本の生まれ変わり観です。

生まれ変わりが続きますと、魂に若いとか年老いたといったことはないのですが、日本の生まれ変わりでは、この若い魂という概念があります。

柳田國夫氏によりますと、子供の魂は、肉体を離れていく危険が多いのですが、また次の生活に移ることも早いと考えられていたそうです。そのため、子供が無くなると、大人の場合と違って、すぐに生まれ変わると考えられていました。

また、生まれ変わりを早くするために、青森県のある地域では、亡くなった子供に魚を持たせ、生臭物で仏道の支配を受けないようにする慣習があるそうです。仏道が、生まれ変わりを遅らせると考えられていたことは興味深いです。

一方、年老いて亡くなると、その魂は、くたびれてしまったのか、しばらく休養をとってから生まれ変わるとも考えられます。魂が肉体の影響を受けるのですね。

画像:魂
画像出所:Pixabey

日本人の生れ変わり観と輪廻転生

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仏教の輪廻は、日本人の生まれ変わり観にどのような影響を与えたのでしょうか。

死後、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の6つの世界(六道)に再生するという輪廻の思想は、結論から言えば、そのまま受け入れられることはなかったと思います。

六道の中で、日本人の多くが受け入れているのは、人間道と地獄道、それと一部畜生道でしょうか。仏教説話では、人が死後動物や虫に転生したり、前世が動物であった等の話がありますが、それほど多くの人々に受け入れられていたとは思えません。また、天道の代わりに極楽浄土があるような気がします。

日本では、基本、生まれ変わりは人から人へだと考えられます。人は死ぬと、善い行いをした人が極楽浄土へ、悪い行いをした人が地獄へ、それ以外の人が、再び人間界に生まれ変わるといったイメージでしょうか。

画像:生まれ変わり
画像出所:pixabey

早来迎

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来迎図の代表作の一つに、知恩院所蔵の「早来迎(阿弥陀二十五菩薩来迎図)」があります。

画面の左上から右下に、阿弥陀仏と聖衆がすごいスピードで往生者を迎えに来る様子が描かれています。往生者にとっては、特別な扱いです。それもそのはずで、この来迎は、来迎9ランクの中で最高の「上品上生」だからです。「上品上生」を見分ける方法は、七宝宮殿と化物だそうです。早来迎には、そのどちらも描かれています。

また、画面には美しい山水が描かれていますが、よく見ると、桜、紅葉、雪の積もった樹木が描かれています。これは、すべての四季が含まれていることから、浄土そのものを表していると言われています。来迎図の中では、最もダイナミックな作品だと思います。

画像:早来迎
画像出所:知恩院 https://www.chion-in.or.jp/highlight/treasure.php

スクナビコナと薬師如来

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『古事記』、『日本書紀』に、スクナビコナ(少名毘古那神、少彦名命)という神様が登場します。スクナビコナは、高天原から地上に派遣され、大国主の国造りを助けます。役割を終えた後は、常世の国に渡ったとされます。

スクナビコナは、様々な神格を持ちますが、薬神としても知られています。そのため、薬師如来との関係が指摘されます。また、常世の国が東にあったとされる説もあり、東方の浄瑠璃浄土におられる薬師如来との親和性が指摘されます。神仏習合は、いろいろなところで見られますね。

画像:スクナビコナ
画像出所:神道の心を伝える https://shinto-cocoro.jp/zukan_yaoyorozu/少彦名命スクナビコナノミコト/

人生の4段階

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前回、出家者が経済活動を行わないことについて触れました。この場合、経済活動を行う者(在家信者)と経済活動を行わない者(出家者)の共同作業になります。ただ、個人として、人生の中で、その両方を経験することもありえます。

バラモン教に四住期と呼ばれる人生の4段階があります。その段階は、1)学生期(師のもとでベーダ聖典を学習する段階)2)家住期(家にあって子をもうけるとともに家庭内の祭式を主宰する段階)、3)林棲期(森に隠棲して修行する段階)、4)遊行期(一定の住所をもたず乞食遊行する段階)になります。家住期で経済活動を行い、その後、林棲期・遊行期で解脱を目指すことになります。こうした人生も考えさせられますね。

画像:修行僧
画像出所:pixabey

解脱と社会

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初期仏教や上座仏教では、解脱を目指すためには経済活動を禁止されています。もし、すべての人が解脱を目指し、出家してしまうと、社会は成り立たなくなってしまいます。

出家者も布施をもらえませんので、生活はできず、解脱も不可能です。その意味では、在家信者が、いかに重要なのかがわかります。解脱は、出家者と在家信者の二人三脚で行われるもののように思われます。

また、在家信者も来世で解脱がなされるなら、徐々に解脱者は増えていくことになります。もし、すべての者が往生できたなら、輪廻は無くなるとともに、天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六道も無くなります。そう、人類も消えてしまうことになります。これは、少し複雑な気持ちになりますね。

画像:解脱
画像出所:pixabey

在家信者

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これまで、2回にわたって、仏教教団サンガについてお話してきました。

サンガは、在家信者の布施なくしては、存続することができません。それでは、布施を行う在家信者のモチベーションはどこにあるのでしょうか。

在家信者は、経済活動に携わりますので、この世で成仏することは極めて難しいです。ただ、布施を行うことによってご利益が期待できます。現世的なものとしては、豊作などといったものです。そして、死後は、輪廻は続きますが天界に再生することが期待されます。こうしたご利益を求めて、在家信者は布施を行って、功徳を積むのです。

布施は、出家者個人へのものと、サンガへのものとに分けられますが、サンガへの布施の方が功徳が大きいとされています。サンガとしても、個人より、教団への布施の方が効率的です。

画像:在家信者
画像出所:pixabey

仏教教団サンガ2

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前回に続き、初期仏教・上座仏教の仏教教団サンガです。

サンガは、直接民主主義です。出家した順番という序列がありますが、基本的には、各出家者は同等の資格を持ちます。すべての案件は、出家者全員が参加する会議で決められます。

サンガ内の罰則は、肉体的苦痛を与えるようなものはなく、最高刑はサンガからの永久追放です。性交、殺人、悟ってもいないのに悟ったと虚言をはくと、サンガから追放されます。殺人と虚言が同列になっているのは、不思議な気がしますが。

また、男性と女性はいっしょに暮らすことはできませんので、男性出家者によるサンガと女性出家者によるサンガが、別々に存在することになります。

このように、それぞれのサンガは自治組織として存在しており、これのサンガを全体を統括するような組織はありません。つまり、それぞれが独立した組織であるといえます。

画像:サンガ
画像出所:pixabey

仏教教団サンガ

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初期仏教や上座仏教では、サンガと呼ばれる仏教教団があります。教団とは言いますが、自治組織で、生活様式の規則である律をもとに、メンバーの合議制で運営されています。

出家者は、生活必需品以外は所有できず、在家者からのお布施によって生活をします。働きませんので、税を払うことはなく、いっさいの経済活動からは離れて生活することになります。

インドでは、長い雨季がありますので、その間は、在家者が用意した場所に定住しますが、それ以外は、上着、下着、袈裟のみの恰好で遊行して暮らします。寒い地域では厳しいように思いますが、実際、上座仏教の盛んな国は、タイ、ミャンマー、スリランカなどの熱帯地域です。

出家者は、まさに、解脱を目指した修行に集中することになります。経済活動に従事しないと生活できない日本のお寺とは、違った環境です。

画像:サンガ
画像出所:pixabey

明智光秀と比叡山

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今年の大河ドラマは、明智光秀ですので、光秀さんについて様々な特集が組まれています。

また、光秀さんが徳川家康の参謀天海僧正として生き残っていたという説が、再び議論されています。

光秀さんといえば、本能寺の変の意図について様々な説が出ていますが、もう一つ興味深いのが、比叡山の焼き討ちです。信長さんの命とはいえ、信心深い光秀さんが、なぜ比叡山の焼き討ちで皆殺しを行ったかというものです。

この問いは、江戸時代にもあったようで、都市伝説が生まれています。京都精華大学の堤邦彦先生が、指摘されていますが、江戸時代に『御伽人形』という怪談集が出ています。それによると、比叡山に恨みを持って亡くなった明智坊という僧が、光秀さんの前世だというのです。そのため、光秀さんは、残酷な比叡山の焼き討ちを行ったそうです。いつの時代も都市伝説はあるのですね。

画像:明智光秀
画像出所:ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/明智光秀

仏の死後

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人が、解脱を完成させ、輪廻から解放された後は、どうなるのでしょうか。その後、死を迎えることになるのですが、そのあとはどうなるのでしょうか。

残念ながら、お釈迦様は、お答えになりません。お釈迦様は、形而上学的な10の質問には無記を通されています。この10の質問のうち4つが仏(如来)の死に関するものです。「如来は死後存在する」、「如来は死後存在しない」、「如来は死後存在し、また存在しない」、「如来は死後存在しないし、また存在しないのでもない」の4つです。後の2つは、インドらしい難しい表現です。

死後の問題は、極めて大きいため、こうしたお釈迦様の態度に不満を持つ弟子が出てきます。そした弟子に対して、お釈迦様は、毒矢を射られた人の話をします。ある人が毒矢に射られたため、皆が医者を連れてきます。ところが、矢を射られた人が、「自分を射た人の身分や、名前、体形を知らないと射られた矢を抜かない」と言います。今必要なのはそうした質問ではなく、矢を抜くことなのに。お釈迦様は、弟子たちに今必要なのは、解脱を目指すことであって、形而上学的な質問をするのではないことを教えているのでしょうね。

画像:お釈迦様
画像出所:天台宗 http://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=55

来迎図の変遷と煩悩

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来迎図は、もともと九品来迎図から独立したという説があります。九品とは、上品上生が一番で、下品下生がビリという9つのランクを指します。往生にふさわしい人ほど、ランクの高い来迎が待っています。

来迎図に最も大きな影響を与えたのが、源信さんです。源信さんの『往生要集』がなければ、来迎図の普及はこれほど広範囲なものではなかったでしょう。ところで、源信さんは、九品の中で、下品志向でありました。あれほど、極楽浄土を目指す修行を積まれた源信さんなのに、下品を目指されます。源信さんが謙虚なのか、往生が難しいのか、あるいはその両方であるかもしれません。そのため、平安時代の来迎図は、下品を描かれたものが多いです。

ところが、鎌倉時代になると上品を描いたものが増えます。あの源信さんでさえ、下品なのに、だれが上品で往生できるのでしょうか。これも煩悩なのかもしれません。

画像:九品来迎図
画像出所:平等院 https://www.byodoin.or.jp/learn/picture/

極楽浄土と即身成仏

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これまで、2回、臨終行儀と密教の関係についてお話してきました。

臨終行儀は、極楽浄土に行くための作法です。一般の人々にとって、この世では、成仏することが不可能なので、極楽浄土で成仏を目指します。この極楽浄土は、成仏することが約束されていますので、極楽浄土に行けば成仏は可能になります。

一方、即身成仏は、現世で成仏を目指します。その意味では、臨終行儀と即身成仏は相いれないものです。ただ、現世では成仏が難しいと思って、即身成仏から極楽往生に切り替えることはあるかもしれません。でも、この世で成仏を完成した密教の高僧が、極楽浄土を目指すのはよくわかりません。大学に受かった後に、高校受験をするようなものです。

画像:高野山
画像出所:金剛峯寺 http://www.koyasan.or.jp/kongobuji/