テーマ:京都観光

大将軍八神社

清明神社以外にも、陰陽道の神社があります。京都市上京区にあります大将軍八神社です。 平安京遷都の時に、陰陽道に基づき、方位の厄災を防ぐために建てられた大将軍堂が始まりです。ただ、明治時代の神仏分離の中で、正式な祭神は、スサノウの尊とその後子8柱となりました。 それでも、陰陽道を色濃く残しております。特に、重要文化財に…
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清明神社

前回に続き、陰陽道です。 清明さんは、現在、京都の清明神社で神として祀られています。陰陽師の神社ですので、魔除け、厄除けが中心です。境内には、先代の戻橋の親柱を移して、再現されています。清明さんが、この戻橋の下に12の式神を隠していたという伝説や、清明さんが殺された父親をここで蘇生させたといった伝説があります。 また…
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神様の宝庫、白峯神宮

白峯神宮は、スポーツの守護神として有名ですが、実は様々な神様が祀られています。 まず、崇徳天皇です。保元の乱で敗れ、隠岐に流され、悲劇の最後を遂げられた崇徳天皇は、長い間怨霊として恐れられていました。明治天皇の父である孝明天皇は、崇徳天皇の御霊を京都に迎えたいと思われました。明治天皇が、その意志を継ぎ、蹴鞠の公卿宗家であり…
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千本釈迦堂(大報恩寺)と「おかめ」

京都のお寺の多くは、応仁の乱などの戦火により何度も建て替えられています。そんな中、奇跡的にこうした戦火を逃れ、約800年の歴史を刻み、京都市最古の木造建築を残しているのが、千本釈迦堂です。もちろん、国宝です。 このお寺の境内に「おかめ塚」があります。そう、お面で有名な、あの「おかめ」です。これには、悲しい伝説があります。 …
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金戒光明寺の山越阿弥陀図と地獄極楽屏風図

前回に続き、金戒光明寺です。 金戒光明寺は、山越阿弥陀図と地獄極楽屏風図を所蔵しています。埋葬地で、他界に近い場所なので、こうした絵画は、人々に影響を与えたことでしょう。 また、関連する吉田寺(廃寺、金戒光明寺の近所)で地獄絵があったり、禅林寺に山越阿弥陀図があることも、偶然ではない気がします。金戒光明寺の山越阿弥陀…
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金戒光明寺

金戒光明寺は、「くろ谷」の愛称で知られています。法然さんが比叡山を下りて、草庵を結ばれたのが、始まりです。 この辺りは、埋葬地であったため、極楽浄土や地獄といった他界が近かったと考えられます。法然さんが、草庵の地として選ばれたのも、わかるような気がします。 かつて近くにあった吉田寺で、永観さんが迎講を行なっていました…
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瑞泉寺(京都)

京都木屋町通に、瑞泉寺というお寺があります。 このお寺は、豊臣秀吉さんの甥、秀次さんとその一族を弔っています。謀反の嫌疑をかけられた秀次さんは、高野山で切腹し、一族30余名が三条河原で打首となりました。遺体は、河原に埋められ、「秀次悪逆塚」と刻まれた石塔が建てられました。本当に痛ましい事件です。 お寺ができ、一族が供…
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補陀落寺(京都)

京都市左京区に補陀落寺があります。本尊は阿弥陀仏で、阿弥陀三尊像が置かれています。ただ、お寺の名前が補陀落寺であることに違和感を持ちました。補陀落浄土は観音菩薩の浄土です。 もちろん、三尊像ですので、観音菩薩もおられますが、あくまで本尊は阿弥陀仏です。 調べてみますと、平安時代、本尊は千手観音像だったのですが、延焼し…
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鬼の子孫の里山

比叡山の西の麓に、八瀬と呼ばれる里山があります。 ここの住人は、最澄が使役した鬼の子孫であると伝えられ、八瀬童子と言われています。また、不動明王に使える矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)の子孫であるという説もあります。 実は、この里の人々は、長い歴史の中で、天皇の輿丁(輿の担ぎ手)として奉仕し…
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繁昌神社と怪異譚

京都市下京区に繁昌神社がります。名前の通り、商売繁盛の神社となっています。ただ、その成立には、怪異譚があります。 『宇治拾遺物語』によりますと、昔、長門前司という人に二人の娘がいたそうです。姉は、結婚し、そのまま父母の家に住みました。一方、妹は、独身でした。父母も亡くなり、姉は家の奥の方に住み、妹は妻戸口を好んでいました。…
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修験道

山で修行して、法力を身につけ、里に下りてきて加持祈祷などを行うのが修験道です。 奈良時代から、正式な僧でない者が、山で修行することが行われておりました。平安時代に、密教をその理論体系に取り込み、鎌倉時代には、「修験道」といして体系化されました。 その内容は、山岳信仰を基本に、密教、道教、陰陽道など様々な宗教が含まれて…
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四神相応

中国の風水で、地相を見る場合、東西南北の神を配置する四神相応が、古くから信じられています。四神とは、東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武です。 良い地相は、東に砂、西に北の山より低い山、南が水、北が山ですが、日本では内容が異なっています。平安京も、この四神相応に基づいて造営されたと言われています。東(青龍)を鴨川に、西(…
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平等院鳳凰堂2

前回に続き、平等院鳳凰堂です。 堂内は、正方形で、中心に阿弥陀如来像、道の周りの壁に絵画が置かれています。西側に、日没に対して観想するための日想観図、東に上品図(3枚)、北に中品図(3枚)、南に下品図(3枚)が配されています。さらには、壁面に楽器を弾いたり、舞いを舞ったりしている52驅の雲中供養菩薩像があります。 ま…
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平等院鳳凰堂1

もし、極楽往生を実際に見たいのでしたら、平等院鳳凰堂に行かれるのがベストです。 まさに、現世における浄土です。藤原摂関政治の全盛期は、藤原道長さんとその子頼通さんです。二人とも、極楽浄土に憧れ、それぞれ法成寺と平等院を創建します。残念ながら、法成寺は現存しませんが、平等院は長い歴史を刻んでいます(世界遺産になりました)。 …
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極楽浄土の景観

極楽浄土とは、いったいどんなところなのでしょうか。その景観を観るには、『観無量寿経』の極楽浄土の世界を絵画化した浄土変相図が良いでしょう。唐で、この浄土変は人気をはくし、その後、日本に渡ってきました。 浄土変相図の中でも、とくに有名なのが、当麻曼荼羅です。中国から、奈良の豪族当麻氏の氏寺である當麻寺に伝えられました。原本は…
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地蔵盆

前回、京都での地蔵菩薩の祠についてお話しましたが、今回はそれと関連した地蔵盆についてお話したいと思います。 地蔵菩薩の縁日の前日、8月23日を中心に行われます。具体的な日時は、それぞれの地域で自主的に決められます。 地蔵盆は、京都だけではなく、近地方全般に普及しています。地蔵菩薩は、子供をお守りになるということから、…
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妖怪ハンター

前回は、源頼光さんの酒呑童子退治のお話でしたが、頼光さんや四天王は、他の鬼や妖怪を退治しています。 まず、頼光さんです。頼光さんがマラリアの熱に苦しんでいたある夜、身長七尺もの法師が現れ、縄を放ってきました。頼光さんが、病にもかかわらず、名刀・膝丸で斬りつけますと、法師は消え去りました。でも、血痕が残っており、それを追って…
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酒呑童子

前回は、怨霊が神様になるというお話でしたが、今回は鬼の首が祀られるお話です。 酒呑童子については、様々な伝説がありますが、大まかなあらすじは以下の通りです。鬼の酒呑童子は、丹波の国の大江山に住み、京に出ては、若い娘を襲ったり、誘拐したりを繰り返していました。一条天皇は、源頼光さんと藤原保昌さんらを征伐に向わせました。頼光さ…
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矢田寺(京都)

六道珍皇寺の「迎え鐘」をお話ししましたが、お迎えした「おしょらいさん」をお送りしなければなりません。この「送り鐘」は、矢田寺で行われます。 この矢田寺は、奈良の矢田寺の別院として建立されました。 六道珍皇寺との関係は、小野篁さんにまで遡ります。当時の住職でありました満米上人のところに、篁さんが訪れます。篁さんは、ご存知のよう…
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みなとや幽霊子育飴本舗

六波羅蜜寺や六道珍皇寺の近くに、450年続く、みなとや幽霊子育飴本舗という飴屋さんがあります。 この辺りは、埋葬の地であった鳥辺山近辺ですので、幽霊物語が多いです。 夜な夜な、飴を買いにくる女性がいました。あるとき、墓場から赤子の泣き声がするので、掘り起こしてみると、母親の死体のそばに生きた赤子がいるではないですか。その後、…
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六道珍皇寺

六波羅蜜寺のすぐ近くに、六道珍皇寺があります。 ここには、冥界とつながる井戸があることで有名です。平安時代の公卿であった小野篁さん(802-853)は、冥府でも閻魔大王の下で裁判の補佐をされていたと伝えられています。副業ですね。昼は朝廷に仕え、夜は冥府で仕事をされるという、忙しい生活をされていました。 篁さんが冥府に行くとき…
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六波羅蜜寺

迎講は、様々なお寺で行われましたが、その中には六波羅蜜寺があります。 平安時代、鳥辺山(現在の東山区の一部)では、火葬場や墓地がありましたので、その近くにあった六波羅蜜寺は、迎講にうってつけの場所だったのでしょう。 また、ここは「市の聖」として有名な空也さん(902-971)が開創されたお寺でもありです。六波羅蜜寺では、この…
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祇園社

祇園祭で有名な祇園社(八坂神社)で、祀られている神様をご存知でしょうか。 牛頭天王です。ただ、祇園社では、スサノオノミコトと同一視されています。 興味深いことに、牛頭天王は元々疫鬼でした。平安時代、下水処理が不十分であったため、疫病が大きな問題となっていました。当時の人々は、この疫病を疫鬼によるものと考えていました。 …
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永観さん

極楽浄土といえば、永観さん(1033-1111)を取り上げる必要があるでしょう。 永観さんは、往生のために、1日に1万遍ときには6万遍、念仏を唱える修行によって、寝ても覚めても、極楽浄土を目に浮かばれることができるようになりました。普通の人には、絶対できないレベルですね。永観さんその他、往生講や迎講を開催など、さまざまな活動をされ…
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真如堂と九尾の狐

前回ご紹介した吉田寺があったとされるところの近くに、真如堂があります。 実は、この真如堂、九尾の狐と関係があります。九尾の狐は、中国の殷王朝を崩壊に導いた後、インドに渡り、さらには、平安末期の日本に来たとされています。 日本では、玉藻前として鳥羽上皇に寵愛されます。しかし、陰陽師の安倍泰親に正体を見破られてしまいます。東に逃…
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幻のお寺、吉田寺

「浄土宗八祖」の一人、永観さん(1033-1111)さんは、迎講(極楽からの来迎を演ずる法会)を、自分のお寺である禅林寺ではなく、吉田寺で行いました。 吉田寺は、現存しません。様々な研究で、京都市左京区吉田下大路町あたりにあったと言われています。 永観さんが、この吉田寺を選んだのは、当時、この地域で埋葬が行われていたためでし…
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鴨長明さん

極楽往生から少し脱線しますが、前回、鴨長明さん(1155-1216)に触れましたので、今回は、その生い立ちを採り上げたいと思います。 鴨長明さんは、下鴨神社の家系に生まれ、その父は、下鴨神社の最高位の神職を務める人物でした。長明さんも、神職での将来が約束されていたのでしょう。まずは、順風満帆の出発です。 しかし、その父が若く…
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法成寺

往生へのあこがれは、まず貴族を中心に広がりました。現世での優雅な暮らしが来世も続くことを望んだのか、病気などにより急に来世が気になったのかは分かりませんが、彼らは浄土に行くことを望みました。 現世で最も成功した藤原道長さん(966-1028)も、例外ではありません。ご存知のように、「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたること…
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