テーマ:臨終行儀

末期の水

末期の水(まつごのみず)とは、息を引きとった個人の口元に水を潤す儀式です。宗派を問わず、日本のお葬式で古くからある慣習で、以前は臨終の間際に行われていました。その意味ですが、のどを潤して安らかに旅立ってほしいという願い等、様々の説がありますが、コンセンサスは得られていません。 ところで、1780年に発行された、可円さんが選…
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善知識

臨終行儀で重要なのは、仏道に通じ、臨終者を教導する善知識と呼ばれるエキスパートです。 真言密教の高僧覚鑁さんは、密教を取り入れた善知識の役割を説いています。覚鑁さんによれば、5人の善知識が必要になります。一人目は、臨終者を浄土に導く役目を持っています。二人目は、臨終者の集中を妨げる悪魔の攻撃を防ぐ役割を持っています。そのた…
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『往生要集』における臨終行儀

『往生要集』には、詳細な臨終行儀が述べられています。 作者源信さんは、善導さん等、様々な先学の意見を紹介しながら、説明がなされています。その中には、看病者の心得も記されていますので、現在のターミナルケアにも通じるところがあるかもしれません。看病者は、病人が、もし語ることあるならば、それを問うことを求めています。それが、自ら…
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極楽浄土と即身成仏

これまで、2回、臨終行儀と密教の関係についてお話してきました。 臨終行儀は、極楽浄土に行くための作法です。一般の人々にとって、この世では、成仏することが不可能なので、極楽浄土で成仏を目指します。この極楽浄土は、成仏することが約束されていますので、極楽浄土に行けば成仏は可能になります。 一方、即身成仏は、現世で成仏を目…
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臨終行儀と密教2

前回に続き、臨終行儀と密教の関係です。ジャクリーン・I・ストーン氏によると、密教の真言や陀羅尼には悪害や業の妨げを除去する効果があると考えられていたため、臨終において観想的な面と呪術的な面の両方に用いられていたと考えられます。 例えば、皇后歓子は、死に際し、臨終正念のため、虚空蔵菩薩の名を唱え、大威徳明王の修法を行うよう命…
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臨終行儀と密教

臨終行儀と密教は、臨終行儀が阿弥陀仏中心、厭離穢土欣求浄土であるのに対し、密教は大日如来中心で即身成仏を目指すため、その関係性は薄いように思われます。ところが、ジャクリーン・I・ストーン氏は、両者の関係の深さを指摘します。 例えば、密教経典『理趣経』の注釈書では、阿弥陀仏の真言「フリーヒ」について詳しく説明され、この真言を…
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金戒光明寺の山越阿弥陀図と地獄極楽屏風図

前回に続き、金戒光明寺です。 金戒光明寺は、山越阿弥陀図と地獄極楽屏風図を所蔵しています。埋葬地で、他界に近い場所なので、こうした絵画は、人々に影響を与えたことでしょう。 また、関連する吉田寺(廃寺、金戒光明寺の近所)で地獄絵があったり、禅林寺に山越阿弥陀図があることも、偶然ではない気がします。金戒光明寺の山越阿弥陀…
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臨終行儀

『往生要集』での往生の方法に続きです。 源信さんは、臨終時の心の持ち方を強調されています。臨終時の一念が、百年積んだ業より優れていると語られています。 これは厳しいですね。これまで往生のために積み上げてきた修行が、臨終時に失敗してしまうと全て無駄になってしまうかもしれないからです。これは、大きなプレッシャーとなり、往生できる…
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