人形の寺、京都宝鏡寺

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京都の宝鏡寺は、人形の寺として有名です。皇室との関係が深いため、皇室から人形を賜ってきました。そのため、1957年から、年に2回こうした人形の一般公開を行なっています。

また、年に1回、秋に人形供養祭が営われ、境内には人形塚が建立されています。人形を捨てることは、心情的に抵抗がある人は多いと思いますが、宝鏡寺には、全国から毎日、人形やぬいぐるみが持ち寄られます。さらに、宝鏡寺では、人形のための「人形のお守り」が販売されています。これは、人形が人に不幸ではなく、幸福をもたらすよう願いが込められています。

画像:宝鏡寺
画像出所:京都観光Navi
https://ja.kyoto.travel/tourism/single02.php?category_id=7&tourism_id=458

東寺立体曼荼羅

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真言宗総本山東寺の講堂には、21体の仏像があります。構成は、5仏、5菩薩、5明王、6天です。中央が5仏で、中心は大日如来です。やはり、密教ですね。

5仏の両翼を5菩薩と5明王で囲みます。5菩薩の中心は、金剛波羅蜜菩薩、5明王の中心は不動明王です。さらに、その両翼をそれぞれ3天で固めます。6天は、四天王と梵天と帝釈天です。まさに立体曼荼羅と言えます。菩薩、明王ともに大日如来の化身で、人々の求めに応じて変化すると考えられています。

東寺に訪れることがありましたら、立体曼荼羅の堪能されるのも良いかもしれません。

画像:東寺立体曼荼羅
画像出所:東寺 https://toji.or.jp/mandala/

西国三十三所

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日本最古とされる巡礼路に、「西国三十三所」巡礼があります。

718年、大和国の長谷寺の開基である徳道上人が亡くなります。あの世で閻魔大王に会い、人々が観音霊場に参り功徳を得られるようにするよう告げられました。そして、上人は「起請文」と極楽浄土の通行証である「三十三の宝印」を受け、現世に戻されます。

この宝印によって霊場が定められたとされています。この三十三という数は、観音菩薩が三十三の変化で人々を救うことから来ているように思います。それを、阿弥陀仏などの仏はなく、閻魔大王が告げているのが興味深いですね。昨年、西国三十三所草創1300年記念行事が行われました。

画像:長谷寺
画像出所:奈良たび https://narakankou.com/251.html

浄土美術の最後を飾る来迎図

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平安時代の源信さんの『往生要集』を起点として、発展してきました建築、仏像、絵画等といった浄土美術は、鎌倉時代に入り帰路を迎えます。浄土美術は、貴族社会での阿弥陀仏や浄土を想うという観想念仏によって主導されました。鎌倉時代になると専修・口承念仏が民衆の間で広まりますが、依然観想念仏も盛んで、貴族社会だけでなく、一般民衆にも拡大されました。そして、その主役は、民衆に移って行きます。

ただし、浄土建築や仏像といったものは、一般民衆にとって程遠い存在です。一方、来迎図は比較的手軽で、民衆教化としても有力でした。そのため、鎌倉時代には、浄土建築や仏像は衰退していきますが、来迎図は発展していきます。まさに、来迎図は、浄土美術の最後を飾ると言えるかもしれません。

画像:早来迎
画像出所:知恩院 https://www.narahaku.go.jp/collection/835-0.html

矢田地蔵縁起絵

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京都矢田寺に、地蔵縁起絵巻があり、三つのお話が描かれています。

一つは、以前もご紹介しましたが、満米上人が小野篁さんに地獄に招かれ、閻魔大王に菩薩戒を授けるというお話です。満米上人は、庶民に代わって地獄で苦しむ地蔵菩薩に会います。上人は、現世に蘇生後、仏師にこの地蔵菩薩を作らせ、これが矢田寺の地蔵菩薩像です。

もう一つのお話は、武者所康成という者が、横暴な継父を討ったとき、誤って実母も殺めてしまいます。後悔し、矢田寺で母の菩提を弔います。死後、地獄に堕ちますが、地蔵菩薩の助けで蘇生します。

三つ目は、貧しい女性が矢田寺に参拝中、子供が川で溺死します。嘆いていると、一人の僧が現れ、子供の額に灸を点じたところ、その子は蘇生し、僧はどこかへ消えてしまいます。

三つの話とも蘇生譚ですね。地蔵菩薩は、地獄から助けた人を浄土ではなく、現世に呼び戻すのでしょうか。

画像:矢田地蔵縁起絵
画像出所:奈良国立博物館 https://www.narahaku.go.jp/collection/835-0.html

泥棒坊主

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前回に続き、『伴大納言絵巻』です。

朱雀門附近で、火事を見る群衆が描かれています。その中に怪しげな僧がいます。上着の中に荷物を入れ、それを背負って大きな歩幅で走っています。火事見物に来た人々とは違って、腰を低く曲げ、顔を見られないように、逃げて行きます。まさに火事場泥棒です。一方、こうした火事場泥棒を取り締まらなければならない検非違使は、火事見物をしています。泥棒をする僧と火事見物をする警察、煩悩の大きさを感じさせます。

前回の夜這い坊主、今回の泥棒と、当時の破戒僧の実態が知れて興味深いです。

参考文献
中村興二(2017)『絵解きの愉しみ:説話画を読む』平凡社

画像:伴大納言絵巻 朱雀門内の群衆
画像出所:ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%B4%E5%A4%A7%E7%B4%8D%E8%A8%80%E7%B5%B5%E8%A9%9E

『伴大納言絵巻』と破戒僧

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『伴大納言絵巻』は、伴大納言の一代記を描いた絵巻ですが、極めて写実的な表現がされ、当時の様子を見ることができます。

中村興二氏は、詳細にこの絵巻を観察され、興味深い人物を浮かび上がらせています。その中に破戒僧があります。応天門炎上での様々な人の動きが描かれていますが、その中に、草履を脱ぎ、それを手に持って、尻をからげて猛スピードで走る僧がいます。素裸の上に着物を羽織っているだけです。注目すべき点は、この着物が女物であることです。そう、夜這いをしていたことが想像されます。

作者の配慮で、後ろ向きに描かれていますので、誰なのかわかりません。ただ、当時の破戒僧の様子がわかり興味深いです。

参考文献
中村興二(2017)『絵解きの愉しみ:説話画を読む』平凡社

画像:伴大納言絵巻 応天門炎上
画像出所:ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%B4%E5%A4%A7%E7%B4%8D%E8%A8%80%E7%B5%B5%E8%A9%9E

立本寺

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以前、六道珍皇寺近くの「みなとや幽霊子育て飴本舗」をご紹介しました。母の幽霊がみなとやに飴を買いに来て、この飴で育てられた赤ん坊のお話しです。この赤ん坊は、その後、高僧になったということでお話しが終わります。

ところが、同様の話が立本寺にもあり、赤ん坊は立本寺二十世の日審となったとされています。そして、この立本寺でも、幽霊子育て飴が売られています。みなとやの付近は鳥辺山、立本寺の付近は蓮台野という埋葬地がありましたので、こうした話は多いように思います。ただ、両者の話あまりに似ており、赤ん坊の出家の年も8歳と同じですので、同じ話から来ているかもしれません。

画像:立本寺
画像出所:京都観光Navi
https://ja.kyoto.travel/tourism/single02.php?category_id=7&tourism_id=670

大念佛狂言

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前回に続き、千本閻魔堂です。千本閻魔堂では、大念佛狂言が有名です。閻魔大王の力で、民衆を災害から救う目的で、鎌倉時代に始まったとされています。

大念佛狂言は、他の寺院でも行われていますが、そのほとんどセリフがないのですが、千本閻魔堂のはセリフ付きです。演目でも、源為朝を主人公にした「千人切り」が有名です。最後の演目になります。為朝は千人の悪人を金剛杖で打ちますが、打たれた悪人は良心を取り戻すとともに、病気も治ります。閻魔大王のお力ですね。

大念佛狂言は、無料で行われていますので、気軽に鑑賞することができます。

画像:大念佛狂言
画像出所:京都大発見会 
http://www.discoverkyoto.net/%E5%8D%83%E6%9C%AC%E9%96%BB%E9%AD%94%E5%A0%82%E7%8B%82%E8%A8%80/

紫式部供養塔

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京都の千本閻魔堂に、紫式部供養塔があります。

千本閻魔堂は、閻魔大王の補佐を務めたとされる小野篁さんが開基です。元々、埋葬地の入口にあり、さらには閻魔大王を祀っていますので、地獄との関係が強いです。

この千本閻魔堂に、どうして紫式部供養塔があるのでしょうか。南北朝時代に円阿上人という僧が、ある時、紫式部が地獄で苦しんでいる夢を見ます。その理由を閻魔大王に問うと、『源氏物語』を書くのに嘘をついたためだと言います。そのため、円阿上人は、紫式部を地獄から救うため、千本閻魔堂に供養塔を勧進したそうです。『源氏物語』などの物語はフィクションなので、嘘は仕方がないと思うのですが。

画像:千本閻魔堂
画像出所:KYOTOdesign https://kyoto-design.jp/spot/1512

地蔵菩薩来迎

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地蔵菩薩は最も人気のある仏・菩薩の一人ですが、来迎図は極めて少ないです。

その数少ない地蔵菩薩来迎図では、阿弥陀仏のお供として描かれるか、あるいは単独で描かれます。阿弥陀仏のお供の場合は、もちろん行き先は極楽浄土ですが、単独でも極楽浄土です。これは、地蔵菩薩が、阿弥陀仏、弥勒菩薩、観音菩薩のように独自の浄土を持たないからです。地蔵菩薩がおられるところは、浄土ではなく地獄です。地獄に落ちた者を救済するありがたい菩薩です。そのため、地蔵菩薩は地獄絵図に登場します。

ちなみに、観音菩薩は、阿弥陀仏のお供として、臨終者を極楽浄土に送りますが、補陀落浄土という自分の浄土も持っています。

画像:地蔵菩薩来迎図
画像出所:大覚寺(姫路市) http://www.daikakuji-himeji.jp/jihou/jihou10.html

来迎図と山岳信仰

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来迎図と山岳信仰の関係については、様々な研究がなされています。とくに、山越阿弥陀図については、その関係が指摘されています。

ただ、最も両者の関係を表しているのは、阿弥陀来迎図ではなく、弥勒来迎図です。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて成立したとされる『覚禅抄』に、定源という仏師が南都から写した弥勒来迎図が載せられています。この来迎図には、不動明王と滝が描かれています。まさに山岳信仰の影響が見られます。

聖地とされた金峯山で修行する修験者の間で、金峯山を弥勒浄土とみなす信仰が発生します。この来迎図は、こうした信仰が影響したと考えられます。

画像:覚禅抄
画像出所:文化遺産オンライン https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/172111

延暦寺・三井寺の対立と妖怪

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平安時代中頃、比叡山では、円仁派と円珍派の対立が激化し、円珍派は三井寺に移ります。残った延暦寺(山門派)と出て行った三井寺(寺門派)は、その後永きにわたって、対立します。その対立は、思想的な対立から、政治的、武力的な対立に発展します。

その三井寺に、頼豪さんという僧が登場します。頼豪さんは、白河天皇の信任が厚く、戒壇の創設を願いでます。ところが、対立する延暦寺の妨害によって、実現しませんでした。怒り浸透の頼豪さんは、断食して亡くなります。『平家物語』の読み本や『太平記』によりますと、頼豪さんの怨霊は、鉄鼠というネズミの妖怪となって、延暦寺の経典を食い破ったそうです。

両寺の対立が、妖怪まで生み出したことになります。

画像:鉄鼠
画像出所:ウィキペディア 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%BC%A0

摂取院

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女性に怨みを持たれ、祟られている男性を救うお寺があります。京都大原にある摂取院です。

昔、ある大工が、妻の妹と密通します。妻は、そのことを知って嫉妬しますが、どうすることもできず、最後は憤死します。その恨みが小蛇となり、その男の首にまとわりつきます。どうやっても取り払うことができません。男はとうとう出家して、浄往と名乗り、亡妻の冥福を祈りますが、それでも蛇は去りません。浄往さんは、その後念仏を唱え続け、やっと晩年になって蛇を取り除くことができました。

この浄往さんのお寺が、摂取院です。このお寺には、「浄往法師脱蛇図」が置かれています。現在、摂取院には、女性に祟られた男性が参拝に来るそうです。

画像:摂取院
画像出所:石留石材 http://www.ishitome.co.jp/cemetery/detail122.html

小野小町さんと仏教

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小野小町さんは、仏教説法の題材としてうってつけだったようです。絶世の美女が年老いていく様を、仏教の無常観と結びつけるのが容易だからです。

以前ご紹介した、京都の補陀落寺には、「小野小町老衰像」があります。さらに、小町さんが老いた自分の姿を写して嘆いたとされる「姿見の井戸」や、野ざらしにされた小町さんの髑髏の目から生えたとされる「穴目の薄」などがあり、否が応でも無常を感じざるを得ないです。寺宝としても、小町さんの死骸が朽ちていくところを九段階で表現した「九相図」などがあります。

小町さんが、こうした題材になった背景として、百人一首の「花の色は 移りにけりな いたずらに わが身世にふる ながめせしまに」の句が影響しているように思います。

画像:小町老衰像
画像:京都観光Navi 
https://ja.kyoto.travel/tourism/single02.php?category_id=7&tourism_id=67

妙満寺

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以前、道成寺の大蛇のお話をしました。ある若い僧が宿に泊まったとき、その宿の女房が僧に一目惚れします。その後、僧に逃げられ、女房は大蛇となって追いかけ、道成寺の鐘の中に隠れていた僧を見つけます。そして、大蛇はその鐘に巻きつき僧を焼き殺すというお話しです。この話は、「安珍・清姫」として発展します。

道成寺はその鐘を再鋳します。ところがその後、怪異が続きます。そして、とうとうその鐘は山林に捨てられました。時は流れ、豊臣秀吉の家臣がその鐘を見つけ、京都に持ち帰ります。怪異を封印するため、妙満寺に奉納されました。そう、この鐘は、現在、京都の妙満寺にあります。現在でも毎年、法華経を読み、供養を行なっています。鐘供養には道成寺の院主も参加しているそうです。

画像:安珍・清姫の鐘
画像出所:妙満寺 https://myomanji.jp/info/bell/index.html

光堂

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光堂とは、無量光仏である阿弥陀仏を本尊である阿弥陀堂につけられた名前です。

阿弥陀仏の無限の光を摂取することを祈るお堂を意味します。でも、時間とともに金箔に包まれた本尊を持つお堂に使われるようになりました。その結果、浄土や阿弥陀仏を観想する場から、宝飾的な造営物になって行き、追善供養が主な目的になります。

後者の意味での光堂としては、平泉の金色堂が有名です。奥州藤原氏の財力により、贅の限りが尽くされています。延暦寺を模して造営されたため、観想念仏も可能ですが、やはり追善供養としての性格が強いように思われます。その意味では、平等院鳳凰堂とは、また違った魅力があるのかもしれません。

画像:金色堂
画像出所:中尊寺 https://www.chusonji.or.jp/know/konjikido.html

観音経

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法華経第25品が観音経と呼ばれ、観音菩薩の救済が説かれています。人がどのような苦難に遭っても、心に観音菩薩を念ずれば、救われることが記されています。本当にありがたい菩薩様です。この観音経は、宗派を超えて信仰され、観音菩薩は、最も人気のある仏・菩薩の一人となりました。

京都の仁和寺では、2018年、観音堂が修復されました。その記念として、特別拝観が行われました。この観音堂の壁画には、観音菩薩が三十三の姿となって人々を救う、まさに観音経の世界が描かれています。私は、昨年拝観できず、本当に残念です。

画像:仁和寺観音堂
画像出所:産経ニュース 
https://www.sankei.com/west/news/181103/wst1811030017-n1.html

放生会

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放生会は『金光明最勝王経』に基づいて行われる仏教行事で、魚や鳥を野に放し、殺生を戒めると同時に善根を施します。

放生会は、宗派を超えて、寺院や神社で行われてきました。鶴岡八幡宮でも、その創設とともに行われ、一大イベントでもありました。『吾妻鏡』によりますと、当時、法会から始まり、童舞と続き、流鏑馬なども行われたそうです。御家人や武士を団結させる儀式として、鎌倉幕府にとって重要な役割を担っていました。この放生会は、現在の鶴岡八幡宮例大祭の始まりでもあります。

画像:鶴岡八幡宮
画像出所:鶴岡八幡宮 https://www.hachimangu.or.jp/


太子信仰

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実在の人物である聖徳太子を、聖人化し、仏教の枠組みで信仰される太子信仰があります。

太子ゆかりの四天王寺や、全国の太子堂で太子が信仰の対象となっています。太子は、様々な仏・菩薩と同一視されます。とくに、お釈迦様や観音菩薩が有名です。太子もお釈迦様もどちらも王子でしたので、親和性が高いです。また、太子が観音菩薩の化身であるとか、その前世であるといった信仰が生まれてきます。

興味深いことに、太子信仰は他の信仰とも結びつきます。お釈迦様との関係から、仏舎利信仰との関係ができます。また、四天王寺が天台宗に属していた時期があることから、念仏とも結びつきます。

画像:四天王寺
画像出所:四天王寺 http://www.shitennoji.or.jp/